毒親に正論を言うことは支配された子供にとってはとても難しいことです。
ですので、手順を踏んで距離をとっていくことが必要です。
私は少し前まで毒親にどんな酷いことを言われてもそれを酷いことと認識できなかったり、親を否定したいときでも何も言うことができませんでした。
しかしそれはおかしいと感じ始め、その見方を少しずつ変えてきました。
なお、直接毒親に物申す必要はありません。
聞く耳を持つ親ならいいですが、そうでない場合は話がこじれるだけだからです。
コンテンツ
育てた親を疑い、文句を言っても構わない
罪悪感を感じることが、親を毒親だと断定することの妨げになるでしょう。
しかし、事実を事実だとはっきり認めることは当たり前のことです。
もしあなたの身の周りに非常識な人がいたら笑顔で許容するでしょうか?
その場では何も言わなくても、心の中ではその人のおかしなところをはっきりと認識しているはずですよね。
それを非常識な毒親に対してはいい顔をして、親がおかしいことをはっきりと意識しないようにし、真実を見ないようにしながら過ごしているのです。
この、親に対する甘い見方を見直すことが毒親に立ち向かう第一歩となります。

私がしたことその1.ひたすら怒る
自分の過去を思い出して、少しでも親がおかしい場面が出てきたら心の中で親に怒りをぶつけます。
そうして毒親に対しても色眼鏡を使用しない練習をします。
親も一人の人間です。間違いを犯すことだってあります。
しかし毒親はそれを免罪符に、どんな間違いも仕方ないこととして押し通そうとします。
子供側としては親も一人の人間だからこそ、親を特別扱いする必要はないのです。
心の中なので、過剰にやっても構いません。
私などは(それは自分が悪いことなのでは…)と思うようなことまで怒りの対象に含めていました。
でも、そのときはそれでいいのです。
ここで、「育ててくれた親に対して怒りを感じるなんて、自分は間違っているのではないか。」と思う罪悪感のような気持ちが出てくるでしょう。
でも、間違ってなどいません。
間違っているのは親に対してだけ特別な見方をするそれまでの自分です。
ひとしきり怒れるだけ怒って、その気持ちに浸ってみましょう。
そのときのやり場のない気持ちが、あなたのそれまで生きてきた時に親に対して感じてきた本当の気持ちです。
その感覚は覚えておきましょう。

今度は自分を振り返る
この段階ではまだ親に対する正常な見方はできていません。
親のどこがおかしいか何となくは感じていても、メカニズムの詳細は理解できていないからです。
まず親にされたことをクローズアップしてそれに対して怒りを感じるところから始めます。
私はある程度長期間にわたって怒り続けました。
そしてそれが落ち着いたとき、親のどこが悪いかはわかるのですが、肝心の自分が何も変わっていないことに気付いたのです。
そう、そこには親から酷い行為をされた「自分」が当時どのように感じたか、本来子供としてどのように扱われるべきだったのか、という視点が抜けていたのです。
毒親に立ち向かうには親の問題点を指摘すればいいと思っていましたが、これでは毒親を物理的に遠ざけることがせいぜいです。
結果、本質的にはそれまでの親子関係と変わりが無いこととなってしまいます。
そこで過去の自分に戻って、その時の心を見つめ、ある時点で止まってしまった心を再度動かすことが必要になります。
そのことが内面からのパワーを生み出してくれます。
そして、毒親と対等な位置に立って関係を考えることができるようになります。
私がしたことその2.過去の自分と出会う
自分が親に対して過去どんなことに傷つき、本当はどんなことを想っていたかを振り返りましょう。
完全に忘れている場合でも目を閉じて親への不快感をイメージしているうちに何か思い当たるはずです。
それが、自分自身が親に何かを訴えたかった場面です。
小さな子供だった自分は傷つけられたまま放っておかれたのです。
毒親は身勝手な理由で子供を傷つけている可能性が非常に高いです。
もし親によって傷つけられていたと感じたら、その感覚は決して忘れないようにすべきです。
そういう感覚を蓄積することが過去の全貌を解き明かすヒントになり、後々繋がってきます。
また、それら一連の心がけが親に対する今後の姿勢を創っていきます。
また、その傷つきが自分の今の人生を生き辛くしているかもしれないので、心の中で自分をしっかりと癒してあげましょう。
そうすると親に拘っていた自分の心がほぐれ、その場で停滞していた心が前に向かって動き始めます。
過去の自分に働きかけられる人は自分以外には居ないのです。
被害者だった自分が立ち上がる
過去の自分をきちんと認めて、過去の自分の心と共に歩もうとしたところで自分自身は変わり始めます。
それまでは親に対しては完全に目を瞑っていたのが、何やら払いのけたくなるような気持ちになってきます。
それは傷ついていた自分自身の心を救うことによって、前向きに生きる気持ちが生まれたのです。
つまり、自分の人生の邪魔をする人は例え親であってもおかしいと言うぞ、という姿勢に切り替わるのです。
こうして主体的に自分の人生を生きたい気持ちが芽生えてきます。

私がしたことその3.親との馴れ合いをやめる
ここまできたら、もう妥協せずに最後までいきたいところです。
私の場合、親と普段は疎遠なのに、会ったときだけは取ってつけたかのように愛想よく振舞うような、誤魔化しながら関係を続けるようなところがありました。
なにかきっかけを見つけては親に連絡し、顔をつないでおくような、そんな毒親の下に自ら飛び込むような愚行を犯していたのです。
それは長く続いてきた親との関係を終わらせたくないという気持ちがあったからだと思います。
しかし、その心が親に反省する機会を与えず、私の心が晴れないことへと繋がっているのでした。
どんなに酷い出来事があっても、私は数ヶ月後には毒親に普通に連絡してしまっていました。
時が流れれば自然とわだかまりが解けるという価値観だったのです。
このような価値観は毒親にとっては何と都合がよいことでしょうか!
毒親にとって子供とは何をしても許してもらえるやりたい放題の相手なのです。
何があってもこの関係は崩れることはないと毒親は考えていることでしょう。
だから毒親は何があっても明日には何も無かったかのように振舞います。
私は何があっても親と距離をとり、親が私に求めているような反応はしなくなりました。
かと言って、あからさまに拒絶したりして遠まわしに自己主張をしたりもせず。
大人になって冷静に話を聞き分けるようにしました。
もう鬱陶しく思いながらも本当は親とズブズブの関係で居たかった過去の自分ではなくなっていました。
案外親はそのことに何もつっこみを入れてきませんでした。

私がしたことその4.決して毒親に歩み寄らずに静観する
誘惑に負けない
アダルトチルドレンとなった子供は何かと理由をつけて毒親に近寄ろうとします。
親とトラブルがあったしばらく後に、
・十分自分の反抗タイムを設けたから、そろそろ親を許してあげてもいいだろう
・自分も成長したからもう親と対等な関係を築けるはずだ
・本当は親のことは好きじゃないけど、親孝行するのが世間の一般的な常識だ
こんなことを考えて自らそれまでの空白とのバランスをとるかのように親に近づき始めたら…
ちょっと待ってください!それじゃ毒親の手のひらの上で転がされているだけです。
毒親は決して歩み寄りません。
向こうから近づいてこなかった場合でも、実はしっかり口を開けて獲物(子供)がかかるのを手ぐすね引いて待ち構えています。
そして、もう十分時間がたったから関係も変わるだろうと期待する子供が痛い目を見るのです。
本当に許せない相手なら金輪際近寄ってはいけないのです。
毒親の本当の姿
近寄らない、かと言って、離れすぎない位置から毒親の正体を見極めましょう。
毒親と適切な距離をとって感情的にならずに相手を見ていると、そのメカニズムが段々見えてきます。
そう、毒親は子供が相手しようがすまいがずっと同じ調子で子供を圧迫しようとするのです。
その様子はまるで一人相撲をしているようにも見えます。
このことからも、毒親には自身の都合しか存在しないことがよくわかります。
もしも毒親のほうから心理的な距離をつめてきても動じず、冷静にいなしましょう。
毒親が言うことを聞かせられるのはコントロールをされた子に対してだけです。
コントロールを打ち破った子に対してはもはや何もできません。
こちらがコントロールされた子としてでなく、常識ある一人の人として親を観察すると相手がとても幼稚で、みじめで、独りよがりな存在に見えてくるはずです。
それが親の本当の姿です。
そのような相手から散々振り回されていたことを私は馬鹿馬鹿しく感じました。
しかしながら、ここで親を罵倒するのならまだしも、諭して改心させようとするのは絶対にやめましょう。
自分が発信することしか頭に無い毒親は、思考回路的に反省するはずがありません。
他人からの言葉を受け入れられない性格になっているのです。
毒親が変わるときがあるとすれば、自身が何かに気付いたときぐらいでしょうか。
しかし、そんなことに期待する必要もありません。
自立するという形をとって、親のことはもう考えなくてもよいのです。
私がしたことその5.親に対する姿勢を維持する
ここからは一生親と会うつもりがない人にとっては関係ないことですが…
過去の思い出の全てが辛いことでない以上、全てを捨てていくのは忍びない。
親を捨てるつもりが、それにまつわる自分自身の思い出まで何もかも捨てることになってしまう。
私はそれに抵抗を感じていました。
だから私はこれまでの記憶は捨てないけど、これからの親との関係では何も生み出さない、と決めました。
また、形式的なことであれ親とやり取りする機会は多少はあります。
そんなときに、私は事務的な態度を維持するように心がけました。
かつて幼い私が人知れず心の歩みを止めたように、親との関係を止めたのです。
それによって、親を赤の他人のような感覚で認識できるようになりました。
現在は連絡を取り合うこともほとんど無いですが、たまに親からメールが来たと思えば非常に引っかかる内容の書き方だったりします。
以前は正直に受け止めて真っ向から反応していた私も、「こんなメールを普通人に送るか?」と冷静に考えることができるようになってきました。
冷静に捉えることが難しいときでも、コントロールされるようなことは無くなりました。
↑この記事に書いているようなどうしようもないメールを送られても真に受けてしまうところがアダルトチルドレンの悲しいところです。
しかし、社会的な目を己に介在させることによって客観的な反応が可能になっています。(記事では私は怒りまくっていますが)
今後親との関係がどうなっていくか私にもわかりませんが、悪化していくことは無いと考えます。
ただし、それはこちらから決して歩み寄らず、油断はしないのが前提です。
今されているのは嫌なことだからやめて!と言っても一切聞き入れないのが毒親です。
そのような人に対しては自己完結させるべく、自分の気持ちの確認から、立ち向かって被害を防ぐところまで全て自分一人で行わなければなりません。
どこまでいっても毒親がいる限りリスクはついてまわることを承知しておく必要があります。
おさらい
1.毒親に対してひたすら怒る(自分への問題提起)
2.過去の自分と出会う(問題に対処する動機を固める)
3.親との馴れ合いをやめる(自分が傷つく原因を遮断する)
4.決して毒親に歩み寄らずに静観する(相手の正体を見極める)
5.現実的な親に対する姿勢をキープする(毒親を乗り越えつつ余計な傷は増やさない)
段階を踏んで毒親に立ち向かっていきましょう!