ホーム 『父系図』坪内祐三 第二回 内田魯庵・内田巌 Page 3

大学に入ってからも内田巌の名前は気にしていた。

しかし彼についての知識を得るに従って、相変わらずその絵は一点も見たことがないのに、イメージはマイナスのものになっていった。

まず彼が、戦後すぐに共産党に入党した文化人の代表であることを知った。

同種の人に哲学者の出隆 (いでたかし)や作家の森田草平 (もりたそうへい)がいた、彼らが党員になったのは便乗ではなく、その逆に思えた。つまり、少々ドンに見えた(もちろんこれは後づけであるが)。

出隆(1892〜1980)

大正〜昭和時代の哲学者。
アリストテレスの研究が専門で、原典によるギリシャ哲学研究に道を開いた。

森田草平(1881〜1949)

明治〜昭和時代の小説家。
夏目漱石門下。平塚らいてうとの心中未遂事件の体験をもとに書いた「煤煙」が話題となった。

私の中で内田巌は凡庸な社会派の画家といったイメージが出来上がり、彼に対する興味は消えていった。

それが逆転するのは、つまり興味が復活するのは、内田魯庵に出会ってからだ。

先にも述べたように私は『思い出す人々』を読んで内田魯庵のファンになった。

そして同種の、例えば『紙魚繁盛記 (しみはんじょうき)』だとか『読書放浪』だとか『紫煙の人々』などの回想集や随筆集を古書展や古書目録で買い求めどれも愛読した。

しかし、そこに落し穴もあった。

それらの著書に目を通せばわかるように、内田魯庵はとても優れたディレッタントだった。

本人もそれを自覚していた。

と言っても、所謂ランティエ(金利生活者)的ディレッタントではなく、その逆で、生活のために様々な原稿を売文していったのだ(彼は生涯借家住まいだった)。

例えば小説家や詩人あるいは批評家であったなら、〜文学者として、その像が明確に結べる。

ところが内田魯庵は雑文家だった。

だから文学史の中でもそのポジションが得られず、いつの間にか、つまり私の学生時代には、「忘れられた文人」になっていた。

しかし、『思い出す人々』で彼に興味を持って以来、彼の様々な文章に目を通していったら、彼が単なるディレッタント的文士ではなく、それを越える存在であることを知った。

例えば『明治文学全集』(筑摩書房)の第二十四巻『内田魯庵集』の目次を眺めれば本当に様々な文章が収められている(これは余談だが、この『明治文学全集』は森鷗外 (もりおうがい)夏目漱石 (なつめそうせき)であっても一巻だけで、魯庵は先にも述べたように『明治文学回顧録集(一)』に長篇『思ひ出す人々』が収録されているから『明治文学全集』全百巻で一番収録スペースをもらっている文学者だ)。

森鷗外(1862〜1922)

明治〜大正時代の軍人・小説家。
東京大学卒業後、軍医となり、ドイツに留学。帰国後、公務のかたわら、明治23年に「舞姫」を発表して文壇に登場。翻訳、評論、歴史研究など多岐にわたり、業績を残した。
写真/国会図書館HP

森鷗外

夏目漱石(1867〜1916)

明治〜大正時代の小説家。
松山中学、第五高等学校で英語教師を務め、明治33年文部省留学生としてイギリスに留学。帰国後、『ホトドキス』に発表した「吾輩は猫である」が好評を得る。代表作に「坊ちゃん」「明暗」など。
写真/国会図書館HP

夏目漱石

批評、小説、随筆、どれも一流だ。

日本の近代文芸批評は小林秀雄 (こばやしひでお)によって始まると言われ、学生時代の私もそれを信じていた。

小林秀雄(1902〜1983)

昭和時代の評論家。
昭和4年「様々なる意匠」を発表し、本格的な近代批評のジャンルを開拓する。「無常といふ事」「モオチアルト」「本居宣長」で、文学、音楽、美術、歴史にわたる文明批評を展開した。

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