ホーム 『父系図』坪内祐三 第一回 淡島椿岳・淡島寒月 Page 8

関東大震災によって銀座天金の淡島椿岳コレクションが烏有に帰したように、向島の梵雲庵も全焼してしまう。

寒月が亡くなったのは大震災から二年数ヶ月後、大正十五年二月のことだが、その追悼文として書かれた「淡島寒月翁のこと」で内田魯庵はこう書いている。

晩年になって玩具を集め出し、 (およ)そ三千点位あったそうで『オモチヤ千種』などを書いて特志の人に分った。翁の集め方は、他の玩具萬集とは違って、範囲が世界的であって外国のものを多く好んで、外国人との交際もあったので意外な面白いものを持っていた。地震ですってんてんにしてしまったが、如何に玩具に熱心だったか一例を挙げて見ると、震災直後、麹町 (こうじまち)に避難しているのを訪ねると、サイダーの箱に、家財のごたごたしたのを入れたのを見せて、これだけ焼け残ったといっていたが、その箱の中から、玩具を七、八点出して、これは二、三日前に麹町の夜店で買ったものだといって喜んでいた。

著者所蔵の淡島寒月 著・画『おもちゃ百種』

父椿岳同様寒月も画をよくした。そして、これまた椿岳同様、それを職業とはしなかった。

私は絵を集める趣味はないが、寒月のものだけは肉筆画集や掛け軸、絵入りハガキなど合わせて十点近く持っている。

著者所蔵の淡島寒月 著・画『おもちゃ百種』

著者所蔵の淡島寒月 著・画『おもちゃ百種』

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著者所蔵の淡島寒月 著・画『おもちゃ百種』より

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「父系図」坪内祐三
第一回 淡島椿岳・淡島寒月

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