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「父系図」坪内祐三 

第一回
画壇・文壇の枠を超えた
大ディレッタント親子

淡島椿岳

・淡島 椿岳

(あわしま ちんがく)

趣味家

淡島寒月

・淡島 寒月

(あわしま かんげつ)

趣味家

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著者所蔵の淡島寒月 著・画『おもちゃ百種』

今から二十年ぐらい前、つまり時代が平成になった頃、文化人類学者の山口昌男 (やまぐちまさお) さんと一緒に、近代日本の面白親子(父と息子)を夢中になって調べていたことがある。

もちろんそれ以前から私は、映画や芝居(歌舞伎)やテレビをはじめとする芸能を見るのが好きだったから、親子して有名な人に興味があった。

しかしそれは親と、いわゆるその二世たちだった。面白いけれども、それ以上の広がりはなかった。

私が夢中になった親と子たちはそれぞれに別個の強烈な個性を持っていた。息子はただの二世ではなかった。

わかりやすい例で言えば、吉田茂 (よしだしげる)吉田健一 (よしだけんいち)の親子。

吉田茂(1878〜1967)

明治〜昭和時代の外交官・政治家。昭和21年日本自由党総裁となり、第一吉田内閣を組織以後、五次まで組閣する。

写真/首相官邸HP

吉田茂

吉田健一(1912〜1977)

昭和時代の英文学者・文芸評論家。吉田茂の長男。外交官の父とともにヨーロッパなどで少年期を過ごす。昭和14年中村光夫らと『批評』を創刊し、文芸批評、小説、エッセイを発表する。

写真提供/筑摩書房

吉田健一

吉田茂は言うまでもなく戦後日本を代表する大政治家。

一方その長男である健一はきわめて優れた文学者だ(生前を含めて三種類もの著作集が刊行された)。

父が政治家で息子が文学者というケースは 犬養毅 (いぬかいつよし)と、犬養健 (いぬかいたける)の場合にもあてはまるが、犬養健は結局政治家になってしまったし、文学者としても吉田健一と比べてB級だった(そもそも吉田茂が自分の息子に政治を継がせようとしなかったことがとてもシブい)。

犬養毅(1855〜1932)

明治〜昭和前期の政治家。明治15年立憲改進党結成に加わり、以後憲政擁護運動を展開する。昭和4年政友会総裁、6年首相となるが、7年の五・一五事件で暗殺される。

写真/首相官邸HP

犬養毅

犬養健(1896〜1960)

大正〜昭和時代の小説家・政治家。犬養毅の次男。白樺派の作家として活躍したのち、昭和5年衆議院に当選し、政治家となる。

吉田茂と健一親子はあまりにも有名だが、調べを続けていたら、次々と興味深い(ある意味で吉田茂・健一親子以上に面白い)親子を知っていった。

そういう調べをもとに、私は、フリーの編集者として文藝春秋の雑誌『ノーサイド』のリニューアル特集を任されたとき、「明治大正昭和 異色の父と子100組」という特集を企画した(一九九四年八月号)。巻頭に山口昌男さんと井上ひさしさんの対談の載っているこの特集号はとても読みごたえがあり、今でも資料的価値は全然古びていない(いや増している)と自負している。

その百組の父子のうち、二十組以上を私は執筆したが、文字数の制限があったから、うまく紹介しきれなかった部分もある。

だから、今回、その中から十二組の父子を取り上げて、改めて詳しく紹介してみたい。

「その中から」と書いたが、その百組には登場しなかった(つまりその後に興味を持った)父子も取り上げるかもしれない。それから、私の興味はどうしても「古くさく」なりがち(明治大正に偏ってしまいがち)だから、十二組のうち、二、三組ぐらいは新しい父子(例えばまだ存命の人たち)も入れようと思っている。

ということで、第一回の今回は淡島椿岳と淡島寒月の親子だ。

淡島 椿岳(あわしま ちんがく)

淡島椿岳

淡島 寒月(あわしま かんげつ)

淡島寒月

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