ホーム 『モルテン食いたりないよね^q^』田辺青蛙 第5回 水都をふらふらと歩いてみたよ Page 1



第5回:水都をふらふらと歩いてみたよ


夜のヴェネチアは、暗く街頭の光も殆ど届かぬ細い路地が無数に巡らされた迷宮のようだと話に聞いていたので、分かりやすいという理由だけで選んで決めたサンマルコ広場から歩いてすぐの場所にあるホテルにチェックインしてから、軽く乾パンの夜食を取り夜はどこにも出かけず部屋の中で過ごすことに決めた。


朝は大きな鐘の音で目が覚めてしまったので、熱いシャワーを浴びてから、昨日海水を被ってしまったシャツやらを風呂場で洗濯してから固く絞って干し、夫と共に外に出て街を散策してみることにした。

ヴェニスの朝
ヴェニスの朝

朝の水路
朝の水路

まずは朝ごはんを食べられる所を見つけようと外に出ると、青と白のストライプのシャツを着たゴンドリエーレ数人が入って行くカフェを見つけた。


地元で働く人が利用している場所なら味も確かではないかと思い、私達もそこで朝食をとることに決めた。

ゴンドリエーレ達はオレンジジュースを絞っている髭の店主と、早口のイタリア語で何かを話していた。

その様子がちょっと映画のワンシーンか、一枚の絵画のようで、こういうところがアメリカやオセアニアにはないヨーロッパ的な空気なのだろうなと思いながら私達はバラ色の大理石で出来たテーブルの席に座り、何を食べようか相談をはじめた。

大理石のテーブル
大理石のテーブル

絞りたてのオレンジから漂う爽やかな香りが店内を満たしている。朝は皆イタリア人はエスプレッソを飲むと聞いていたが回りはジュースや紅茶、カプチーノとそれぞれ違った飲み物を頼んでいた。

イタリアでは椅子に座って飲み食いするのと、立ったままでは値段が違うと店主から説明を受けた。観光客が多い地なので、外国人らしき人をみると最初に説明すると決めているのだろう。

席料のチャージを取られるかどうかの差なのだが、そのせいか、カウンターで飲み物とパニーニを頼みさっと立ったまま食事を取って出て行くというのが地元の人の利用スタイルのようだった。

私と夫は散々悩んだ末に店主にお勧めされた一番人気というトマトとモッツアレラチーズのパニーニを頼んだ。

パニーニ
パニーニ

大きいサイズだったので、店主にシェアは出来るかどうか尋ねると4つ切りにしてからオリーブオイルをかけて出してくれた。

サクッと焼き上げたパンの間に挟まれたトマトは甘く、チーズはむっ!と声が出る程ミルキィで柔らかかった。

パンくずをボロボロこぼしながら貪るように食べていると「くるっぽー」と低く鳴きながら鳩がやって来た。図々しい奴はテーブルに乗っかろうとするので、手で追い払いながら食べたのだが、その様子を見て周りの人が笑っていた。

何故多くのお客さんが店内にいる中で、我々を選んで鳩が狙ってやって来たのかは分からない。

よくある出来事なのか、店の人も特に鳩を追い払おうとはしない。

サンマルコ広場にも無数にいた鳩だが、私は平和の象徴だから優しくしたいなどという気持ちは全く湧いてこなかった。鳥は目の表情がよくわからず、苦手というのもある。

まだ朝だというのに日差しはきつく、空気が乾燥しているのを感じたので私達は店で水のボトルを2本買い、外に出た。

地元の人が通勤前に利用する店らしく、味と値段ともに満足だった。

そして、皮肉なことに覚えたてのイタリア語よりも英語の方がよく通じた。

ヴェニスが観光都市というのもあるのだろうけれど、誰に話しかけてもとても上手な英語を話す。

「みんな英語を使っているね」

「昔のヨーロッパは、意地でも話さない人がいたって聞いたけど、最近はそうでもないのかもね。まあ、今のところホテルの近くをちょっと歩いただけだし、ディープな所にいけばイタリア語じゃなきゃ駄目かも知れないよ」

「それはそれで困るなあ」

特に観光地を順に巡る旅を好みとしない、夫と私は二人でヴェニスの町をふらふらと、歩いて散策してみることにした。

ただ散歩するだけで、ヴェニスという町は楽しい。

水路の影
水路の影

凄い色のお菓子
凄い色のお菓子

石畳の上のわんこ
石畳の上のわんこ

船で運搬中
船で運搬中

夜はちょっとおっかないが、秘密めいた路地が沢山あり、まるで迷うことを楽しむ為に出来ているように感じる町なのだ。

思わぬ所に工事中の行き止まりがあり、昼間でも日が届かぬような暗い道があったり、これは何だろうと言いたくなるような品々が並ぶお土産屋のショーウィンドウ。

運河の側を歩いたり、飲食店の並びを見るのも面白い。

ゴミの収集も船
ゴミの収集も船

ゴミ収集用クレーン
ゴミ収集用クレーン

お土産物屋の立ち並ぶリアルト橋を渡り、しばらく歩いた場所に私と夫は市場を見つけた。

近隣の海で取れたと思わしき魚介類が並び、多くの人が品定めをしている。

どれも新鮮で美味しそうに見えたのだけれど、ホテルに持ち帰っても調理は出来ないので、私達は見て目で味わうだけに留めておくことにした。

野菜や果物もあり、ズッキーニの花は今が旬で刻んだチーズとハムを花の部分を袋のようにして詰めて揚げると美味しいよと勧められた。

鰻がいたので、イタリアの人はどうやって食べるのか聞いてみたところトマトソースでズッキーニと一緒に煮込むということだった。

まだお昼前だったが早くも店じまいをし、片付けに入っている店もあった。

日本の市場と同じで、こういう場所には早朝に来るのが良いのかも知れない。

並んだ品々を眺めているうちに、ぎょっとするものが目に入った。

「カタツムリ!?」

触覚がにゅっと伸びたカタツムリが箱の中を這いずり回っている。

「あー、そういえばゲーテの『イタリア紀行』の中で見た気がする……確か海カタツムリとか呼ばれるものだよ、これ。白ワインに合うそうだよ」

夫とあれやこれやと話あっていると、私の目の前で、買い物にやって来たと思わしき夫人がカタツムリを指さし、店主に紙袋にガサっと詰めて貰うと代金を支払い満足そうに去っていった。

「これって、どうやって食べるんだろう? 海カタツムリの調理方は知ってる?」

若い頃あだ名が蝸牛だった夫は首を傾げながら答えてくれた。

「うーん……ゲーテはそこまで書いて無かった気がする。『イタリア紀行』は持って来ているから、君も後で読むといいよ」

先ほど満足そうにカタツムリの袋を持って去って行った夫人の顔が気になったせいもあり、近くのレストランや居酒屋のメニューで毎度カタツムリはないかと探してみたが残念ながらヴェニスでは一度も目にすることが出来なかった。

店で提供するようなものでなく、家庭料理の一品なのかも知れない。

日差しがますます強くなって来たこともあって、店が昼休みに入る前にホテルの近くで昼食を取ることにした。

今までずっと、なんでイタリアやスペインの人はシエスタなんて取るんだろうと思っていたが、こうも暑くては働く気にはなれないだろう。私も夫も外に長くいると、たちまち日射病か熱射病になってしまいそうだった。

肌が早くもヒリヒリして来たので、逃げるように日陰に入り、昼食には塩気のあるものが欲しかったので生ハムの盛り合わせを前菜に頼み、次にイカ墨のパスタを頼んだ。

日本でいうと、お通しみたいなものなのか、注文するとサッとパンの入った籠が置かれた。

生ハムは酸味の強いバルサミコ酢と一緒に出され、つけて食べると暑さにほてった体に酸っぱさと塩気が染みるようだった。

パンは味がついておらず、口に入れると小麦の香りがした。

イカ墨のパスタはこの辺りの名物ということで頼んだのだが、もちもちとした食感と墨の風味があいまって面白い味わいだった。


昼食を終え、ホテルに戻ると朝干して行ったシャツはパリパリに乾いていた。

私はシャワーを浴び、PCで日本からのメールをチェックしようとしたのだが、なかなかネットワークに繋がらずイライラしてしまった。

PCが繋がらない
PCが繋がらない

有料のホテルが提供するWifiや日本の空港で借りて持って来たWifiも試してみたが駄目だった。

夫の方も繋がったり、切れたりで思うようにいかないようだった。

「なんでだろ? 建物が石で出来ていて古いから?」

「さあ、わかんないけど困ったね」

「ホテルのロビーにあったPCは使えるかな?」

「試してみたらどう? 僕はもう少し頑張ってみるよ」

ロビーのPCは幸いなことに誰も使っていなかったので、1ユーロコインを数枚入れて使ってみたのだが、信じられない程データーの読み込みが遅かった。

画像1枚をダウンロードするのに5分近く掛かってしまうし、これではメールのチェックもしようがない。

私は諦めて部屋に戻ると、夫がPCでネットサーフィンをしていた。

「不安定だけど何とか繋がったよ」

それから切れたり、急に重くなったりもしたが何とかネットが出来、夕方近くまで仕事をすることが出来た。

夕方になると、あちこちで店が再び開きはじめる。

私と夫はその時間帯を待って外に出て、事前に調べていたリストランテに行ってみたのだが閉まっていた。

残念ながら定休日だったのかなと思い、別の飲食店を探そうと辺りを見回すとカタツムリのシールがびっしりと貼られたオステリア(居酒屋)を見つけた。

中に入ると、みながほろ酔いでワインを立って飲んでおり、鰯やハムのつまみを味わっていた。

それがとても美味しそうに見えたので、私と夫も冷えた白ワインと鰯やパンとツナ等が乗ったパンのおつまみを頼んだ。

あまり長居をする店ではないらしく、皆が1~2杯飲んでおつまみを少し食べるとサッと出て行くようだった。

ヴェニスではこういうタイプの飲み屋が多く、地元の人々は贔屓ひいきの店を幾つか梯子はしごしながら楽しむらしい。

ワインは果実味の強い味で、フレッシュな葡萄ジュースという感じだったけれど、甘さは控えめでとても爽やかな味わいだった。

自分が『神の雫』のキャラクターか何かだったら、もっと上手くこのワインの味を表現出来たのかも知れないけれど、ワインをちょっと味わうようになりはじめたのは去年のナパ旅行からだ。

時々、あとで思い出す時に役に立つかも知れないと思い、料理やワインを口に運んでからメモを取ることもあったけれど、大抵「美味しかった」とか「これはヤバイ! ウマイ!」とか、作家らしからぬ単純な記録が多く、あまりメモは役に立たなかった。

不思議なことに食べている最中に取ったメモよりも、翌日や翌々日に食べた物を思い出しながら書いた記録の方がマシで、この連載のうえでもその記録が随分と役に立った。

少し時間を置いた方が味の記憶が落ち着いているからか、それとも酔っぱらっていないせいか理由は分からないが、私は食事中は記録を取るのは最低限に留めることにした。

喉をワインで潤し小腹を満たした後に、軽く町を再び散歩した。

途中で、タイプライターの博物館を見つけたので夫が中に入りとても満足そうにじっくりと1つ1つの展示品を眺めていた。

その時にそれぞれのタイプライターに纏わる歴史やストーリーを聞いた記憶があるのだけれど、ほろ酔いだったせいかすっかり忘れてしまった。

タイプライター博物館を見終えた後、一度ホテルに戻った。

数時間後、空腹を感じたので外に出てみると最初に行ったお目当てのリストランテが開いていた。

どうやら開店時間がガイドブックに記載されているのよりも、遅いらしい。

そこでワインと魚介類のプレートを幾つか頼んだのだけれど、暑さの後に口にしたものだったからだろうか、夕方にオステリアで飲み食いした一杯のワインや鰯やツナの乗ったパンの方が美味しく思えた。

だが、私の舌は家族の中では味音痴で通っているのであまり当てにはならないので、この連載の評価も参考になるかどうかは分からない。


ヴェニスの人たちは宵っ張りなようで、深夜でも外から喧噪が聞こえて来た。

私は日焼けの後遺症か、皮膚の表面が熱っぽいこともあってなかなか寝付くことが出来なかった。

ホテルの硝子や天使の照明が少々薄暗かったのが気になったけれど、私は夫から借りたイタリアに関する本を鞄から引っ張り出して、読書を始めた。

ホテルのシャンデリア、傾いてる?
ホテルのシャンデリア、傾いてる?

時計の針がカツコツと音を立てながら動き、喉が渇いたので何度かペットボトルの水を飲んだ。

読み進むうちに時間の感覚が分からなくなり、ページを捲る指もそのままにいつの間にか眠ってしまっていた。

朝は再び鐘の音で目を覚ました。

夜のヴェニス
夜のヴェニス

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第5回 水都をふらふらと歩いてみたよ

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