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第10回 人物編:「聖武天皇 豹変の謎」 Page 2

第10回 人物編:
「聖武天皇 豹変の謎」

反藤原に寝返った藤原の子・聖武天皇

聖武天皇は「藤原の子」なのだが、後半生の聖武天皇は、藤原氏と対立している。ここにも大きな謎が隠されている。

『日本書紀』が編纂された当時(七二〇)、朝堂のトップに立っていたのは、藤原不比等ふじわらのふひとであった。

聖武天皇の母は藤原不比等の娘の宮子みやこで、正妃・光明子こうみょうしも、藤原不比等の娘だった。聖武天皇は藤原氏に囲まれ、絵に描いたような「藤原のために生を享けた子」であり、悪く言えば、傀儡かいらいなのだった。

藤原不比等は聖武天皇の即位を望みながら、夢半ばで亡くなっている。聖武天皇が即位すれば、藤原氏は天皇家の外戚がいせきとして、盤石な体制を築けるわけである。

もちろん、藤原不比等亡き後、四人の子供たち(武智麻呂むちまろ房前ふささき宇合うまかい麻呂まろ)は、聖武天皇を担ぎ上げ、藤原氏の時代を構築したのである。

ところが、ある時期を境に、聖武天皇は藤原氏と敵対していくことになる。天平てんぴょう九年(七三七)、わが世の春を謳歌おうかしていた藤原四兄弟が、天然痘てんねんとうの病魔に襲われ、全滅してしまったのだ。ここから先、橘諸兄たちばなのもろえ玄昉げんぼう吉備真備きびのまきびといった反藤原派が台頭し、聖武天皇も彼らに支えられていくのである。

聖武天皇の五年にわたる彷徨の謎

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