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第10回 出来事編:「藤原系女人の乱――県犬養三千代と光明子」 Page 5

第10回 出来事編:
「藤原系女人の乱――県犬養三千代と光明子」

愛する人々を必死に守り抜いた鉄の女・光明子

これまで、光明子は「藤原の娘」とみなされてきた。藤原の力を背景に、聖武天皇を操り、藤原の天下を築くことに邁進したと信じられていた。強い、鉄の女のイメージである。

しかしこれは、周囲をあざむく仮の姿であり、正体は「県犬養三千代の娘」であった。そう考えれば、多くの謎が解けてくる。

すでに触れたように、光明子は聖武天皇と宮子を引き合わせている。もし仮に光明子が「藤原の娘」で、聖武天皇を「藤原の傀儡かいらいとして飼い続ける」と決めていたのなら、宮子を隠し通したであろう。館に設けられた「開かずの間」は、固く閉ざしたままでいただろう。だが、光明子は、宮子を開放した。藤原不比等の罪深い仕打ちを知れば、聖武天皇がどう思うか、わかった上での行動である。

聖武天皇が「藤原の子」から「天武の子」に豹変したのも、光明子がすべてをさらけ出したからだろう。知識寺ちしきじに感動した聖武天皇の背中を光明子が押したのは、聖武天皇とともに、藤原のけが れた手を払拭したいと考えたからではあるまいか。

なぜ光明子は、聖武天皇を「天武の子」となるように導いただろう。それは、自らが、「藤原の娘」を装いつつも、「県犬養三千代の娘」であり続けたからだろう。母・県犬養三千代もまた、「藤原不比等の妻」を装い、藤原不比等のために後宮で暗躍した。しかしその正体は、「美努王や葛城王の幸せを願っていた心優しき女人」であった。

光明子は『万葉集まんようしゅう』に、次の歌を残している(巻八―一六五八)。


わが背子せこと二人見ませば幾許いくばくかこの降る雪のうれししからまし


あの方(聖武天皇)とふたりで眺めれば、このふる雪も、きっと楽しいでしょうに、という「鉄の女・光明子らしからぬ歌」なのである。

しかしここに、光明子の本心が隠されている。

光明子は、藤原氏が、凶暴な一族であることを熟知していた。たとえ天皇でも、いうことを聞かなければ抹殺しかねないと、危惧していたはずだ。事実、聖武天皇の子で、藤原氏の血を引いていなかった安積親王あさかしんのうは、藤原仲麻呂ふじわらのなかまろ(のちの恵美押勝えみのおしかつ )に密殺された可能性が高い(通説もほぼ認めている)。

だからこそ県犬養三千代も光明子も、「藤原のために働く女」という仮面を被り、そのいっぽうで、愛する人々を必死に守り抜いたのではなかったか。

聖武天皇崩御ほうぎょののち、光明子は夫の遺愛の品を東大寺に移す。それが正倉院しょうそういんの秘宝であった。

「聖武の愛された品々を見るにつけ、涙が止まらなくなる」

と、光明子は願文がんもんに記している。そうして光明子は、これらの秘宝を、「天皇の許可がなければ開けることはできない」と決めて、夫婦の思い出の品を封印したのである。

権力の頂点に君臨した藤原氏も、手を触れることはできなかった。最後の最後に、光明子は自分の思いを成し遂げたのである。

第10回 人物編「聖武天皇 豹変の謎」
なぜ聖武天皇は仏教に帰依したのか

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