ホーム 『微笑がえし』石黒謙吾 プロローグ 一本の電話 Page 3

2時間前、夕食を終えた慎吾が2階の自分の部屋でボリュームを上げてレコードを聞いていると、オッサンが部屋に入ってきた。

「またこの子らの歌かいや……」

物心ついた時から見続けてきた、飾り気のない自然な笑顔がない。

「そやけど……」

「こんなもん聞いとらんと本でも読んどれや!」

声を荒げた稔は突然、壁に貼ってある大きなポスターを引き裂いた。角の画鋲が一つ飛び、ゆらりと倒れかかる女の子の写真。赤みを帯びた顔でポスターの切れ端を手に仁王立ちする父親。

「何するげんて!」

慎吾は驚きと共に怒り、父親の目を真っ直ぐに見据えた。おとなしい息子には似つかわしくない視線にひるんだオッサンは、荒い鼻息だけを残して階段を降りていったのだった。

「そんなんか。ほんでもなんやら時間かかっとらんかった?」

髪を後ろで束ねた博子が、小ぶりの茶碗にフタをしつつ慎吾にそう訊ねるが、その言葉はいつものように、母親になって1年しか経ってないという遠慮で尻すぼみ気味だ。

「うーん。なんやら、ごちゃごちゃ言うとってね。番号は何番やとか……」

炬燵の余った一辺にあぐらをかいて座った慎吾のほうを見た父親が、少しでも息子と話したそうで、しかしバツが悪そうにつなぐ。

「ふーん。どんな人やったん?」

「おばさんみたいやった」

慎吾が答え、コの字型に座った3人がなんとなく同時にテレビを向き会話が途絶えた。その間を繕うように博子が、花柄の電気ポットからホーローでできた急須に湯を注ぐ、いかにも母親然としたふるまい。

「しんちゃんもお茶呑まんか?」

「いらんわ。また部屋戻るしぃ」

「ああ、わかったよ。もういい時間やし、あんまり音大きくせんといてね」

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