ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第一回 『父と娘』 Page 7

小説家としての江國香織の出発は、第一回フェミナ賞(学習研究社主催)を受けた、「409ラドクリフ」を待たねばならない。アメリカ生活を題材とした本作によって、作家は、小説という、あらゆる価値と信仰が相対化された後の真実を提示するジャンルに踏み込んだのだ。

上映中はノースモーキング、ノードリンキング、そしてノーセックスです、といういつものアナウンスのあと、室内が暗くなり、映画がはじまった。『サクリファイス』だった。この映画、日本で一度観たことがある。抽象的な映画。修平さんむきじゃないな、と私は思った。横をみると、修平さんはまじめな顔で画面に見入っている。美しいラブストーリーだ、と言って『ザ・フライ』に感動し、シュワルツェネッガーの映画は血が騒ぐ、という修平さんは、私のボーイフレンドである。

私には、成田を発つとき、待ってるよ、と言ってくれた年下のボーイフレンドがいる。修平さんは、結婚の約束をしている女性を、日本に待たせているという。二人とも、日本の恋人と別れるつもりなどないくせに、それでも、そういうことになってしまったのだ。この巨大な国で、一人っきりでいられるほど、どちらも強くなかったのだと思う。そんなカップルはごまんといた。留学生どうしの暗黙の了解、というようなものがあって、誰もそれに、触れなかった。私は修平さんの肩にもたれて映画を観るのが好きだったし、とりあえず、週末のデートはどちらにとっても楽しかった。

草原を走っていく救急車の後姿で映画はおわり、修平さんはのびをして、

「難解な作品だな」

とつぶやいた。

「409ラドクリフ」(『江國香織とっておき作品集』)

留学生としての生活は、欺瞞ぎまんに満ちている。故国に恋人を残して居ながら、寂しさや経済的打算などにより、裏切りを働く。

その裏切りは、自らをも損なうものだが、しかしその喪失にこそ、快楽があり、真実に似た愛がある。究極にも、極限にも至れない、人間という存在に於いて、相対的な真実だけが救いであると、小説は教えてくれるのだ。

「409ラドクリフ」は、人情や惻隠といった要素で組み立てられた、父の世界と完全に決別している。あらゆる感情、あるいは価値観が相対化され、組み替えられる近代小説の、索漠として救いがないからこその、ふてぶてしくも豪奢な美と愛がそこにはある。

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「江國香織を読む」福田和也
第一回「父と娘」

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