ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第一回 『父と娘』 Page 2

文辞がやや、失礼にあたるけれども、その父君は、高名であったり、ベストセラーを出した作家ではない。それでも、今、アマゾンを引けば、共著やアンソロジーも含めて三十冊前後の書物が挙げられている。

逝去されてから十五年になる事を考えれば、これだけ生きて買える本があるというのは、根強い読者、愛好家がいるという事なのだろう。

江國滋は、昭和九年生まれ。

石原慎太郎いしはらしんたろう大江健三郎おおえけんざぶろう江藤淳えとうじゅんといった、高度成長期を代表する作家たちと同世代に属している。

慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、新潮社に就職した。

ちょうど『週刊新潮』が創刊された年で、同誌編集部員となったが、昭和四十一年に退社している。

週刊誌の全盛時代であったから、フリーの記者、ライター、エッセイストとしての仕事は、相応にあっただろう。

もちろん、彼自身の表芸であった(表芸にしたかった)、落語などの寄席演芸や俳句についての、研究、精進もまた、怠ってはいなかったろう。

色川武大いろかわたけひろ との交友も、週刊新潮時代に生じたものだ。

色川自身、いくつかのエッセイで自らの「トップ屋」時代を語っているが、トップ屋にとっての顧客としての編集者であったり、あるいはトップ屋の朋輩として、江國が色川とつきあっていた事は、間違いないだろう。

それに色川は、江國と同じく、寄席や軽演劇にどっぷりと浸かっていた。

その浸かり方は、おそらく、江國のそれよりも深かったはずだ。

埋もれた、忘れられた芸人たちに寄り添い、つきあい、その不運を共にしてきた色川。

一方の江國は、落語会の主催など裏方仕事もしていたし、師匠連中、とくに名人と呼ばれる人たちとの交流も濃やかなものだった。なにしろ処女出版『落語手帖』に、大通たる辰野隆たつのゆたかに序文を書いて貰っているのだから。

とはいえ、大学出の堅気である江國と、博打ばくちでしのいで来た色川を比べても仕方がないだろうが。

それでも江國と色川はうまがあったらしく、色川は始終、江國家に入り浸っていたという。

その色川が、江國について、こう書いている。

Highslide JS

前のページ

次のページ

「江國香織を読む」福田和也
第一回「父と娘」

目次  1   2   3   4   5   6   7