ホーム 『村上春樹2011』福田和也 第二回 『ノルウェイの森』 Page 3

とはいえ、ボーイング七四七でうめくワタナべは、はたしてどのような状況にいるのだろう。彼は緑と結婚したのか。そのまま一緒に暮らしているのか、いないのか。あるいは緑の後にも遍歴を続け、ドイツに来て突然、最初の女を思いだしたのか。

それでも記憶は確実に遠ざかっていくし、僕はあまりに多くのことを既に忘れてしまった。こうして記憶を辿りながら文章を書いていると、僕はときどきひどく不安な気持になってしまう。ひょっとして自分はいちばん大事な肝心な部分の記憶を失ってしまっているんじゃないかとふと思うからだ。僕の体の中に記憶の辺土 (リンボ)とでも呼ぶべき暗い場所があって、大事な記憶は全部そこにつもってやわらかい泥と化してしまっているのではあるまいか、と。

さすがに、「私のことを覚えていてほしいの。私が存在し、こうしてあなたのとなりにいたことをずっと覚えていてくれる?」と云った女の事は記憶しているのだろう。

なぜなら忘れられるという事は、二度殺される事にほかならないからだ。とはいえ、二度目の死は避けられない。直子の事を覚えている、と誓ったワタナべもいずれは死ぬからだ。祈りが在り得るとすれば、それは死が、忘却より先にこないように、と手と指を折り重ねる事でしかない。

不貞、忘却以上の暴力に、直子は曝されている。

恋人であったキズキの死の原因が、なぜ自殺したのか、という事情が小説のなかでは伏せられている。

それと思しい事情すら仄めかされていない。

もちろん、それもまた巧妙な罠に他ならない。

真剣に、ワタナべと玉を突いた後、帰宅して軽自動車の排気ガスを車内に充満させて、自殺してしまった、その経緯は淡々と書かれた。

遺書もなければ思いあたる動機もなかった。彼に最後に会って話をしたという理由で僕は警察に呼ばれて事情聴取された。そんなそぶりはまったくありませんでした、いつもとまったく同じでした、と僕は取調べの警官に言った。

ワタナべは、「キズキが死んでから高校を卒業するまでの十ヵ月ほどのあいだ、僕はまわりの世界の中に自分の位置をはっきりと定めることができなかった」と云う。

ところが「定めることができない」ことの内実として、具体的な事象として示されているのは、「僕はある女の子と仲良くなって彼女と寝たが、結局半年ももたなかった。彼女は僕に対して何ひとつとして訴えかけてこなかった」という事。

「何ひとつとして訴えかけてこなかった」、なかなか強烈な断罪である。どうして彼はこんなに他者に対して、女性に対して冷酷になれるのだろうか。

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