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村上春樹2011
福田和也

第二回「ノルウェイの森」

髙島屋の地下食堂と屋上に立ち現れた揮発性の官能

写真/福田和也

トラン・アン・ユン監督による『ノルウェイの森』は、大災害的な失敗作だった。

アジアを代表する撮影監督、李屏賓(マーク・リー・ピンビン)の映像は、美しいだけでなくカメラアイの移動やズーム、被写体深度の設定など、舌を巻くようなアイデアに満ちてはいた。

菊地凜子 (きくち・りんこ)水原希子 (みずはら・きこ)ら、女優陣の演技も素晴らしかった。歩きながら語るシーンの多用など、監督の演出プラン、カット割のスリルも申し分がない。

にもかかわらず、映画としての出来は、好ましくない。

好ましくない、というよりは、むしろ大惨事に近いような、どうしようもない映画になってしまっている。

もちろん、世界各国で読まれているベストセラーを映画化するという試みは、あらゆる冒険のなかでも、もっとも報われる事のない試みだ。何百万という読者が、登場人物像、場所の雰囲気、台詞やストーリーについてそれぞれの解釈を抱いている。そこに違和感を感じさせてしまえば、理不尽な反発を招くことだろう。「私の『ノルウェイの森』が……」

その点からすれば作品はかなり健闘しているといっていいだろう。それぞれのシーンは、原作の雰囲気を毀してはいない、いや、その水準を離れて見応えがある。人物や風景の造形にも力が入っている。

にもかかわらず、結果的に失敗作になったのはなぜなのか。

脚本と編集という、映画にとってもっとも本質的な要素で、しくじっているためだ。

映画は、物語の骨格をすべてカバーしようとし、そのために展開は急であり、ミュージックビデオのアンソロジーのような忙しさを呈している。一つ一つのシーンが凝っていればいるほど、大画面でMTVを観ているというような錯覚に陥る。

とはいえまた、このような惨事を招来したことは『ノルウェイの森』という小説作品の、一方の本質を示唆しているのだろう。あるいはより正確にいえばその骨格がデッサンの質とともに顕わにされている、と云い得るかもしれない。

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ノルウェイの森

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