ホーム 『日本全国津々うりゃうりゃ』宮田珠己 第三回 『名古屋(三)』 Page 3

名古屋にはリニモの他に、現実と遊離したような公共交通機関がもうひとつあって、ゆとりーとラインと呼ばれている。

大曽根駅から日本で二番目に古いニュータウンのある高蔵寺を結んでおり、その高いところをゆっくり走る形態から、一見、高架軌道を走る新交通の一種かと錯覚されるが、その正体はバスであり、大曽根を発車してしばらくは高架の軌道を専有しつつ特権的に走るものの、途中小幡緑地あたりを過ぎる頃には、下界に降り、何食わぬ顔して一般道を走る姿は、すっかりただのバスである。

それでも前半部の高いところをゆっくり走る部分は、まるでゴーカートにでも乗っているかのようで面白く、よく見れば運転手がハンドルを握らないまま舵取りはバスに任せて走っていくのも不思議な光景で、乗ってみるとリニモ同様、これにいつまでも乗っていたいという気持ちにさせる魅力があった。

ゆとりーとライン

わたしは、このゆとりーとラインに揺られながら、今日見たものを反芻することにした。

脳内の名古屋に、布袋大仏をドラッグして、名古屋という名の古いファイルがあります上書きしますか、はい、をクリックする。こうしてまたわたしの名古屋がアップデイトされていく。

それにしてもだ。最近になるまで何十年も、あの存在を知らなかったことが、わたしをたじろがせる。実は五色園も、なんと戦前から存在していたらしい。さらに言えば、今回は行かなかったが、布袋大仏からさらにもう少し北には桃太郎神社があって、そこも五色園同様の(なんと同じ作者の手による)コンクリート人形群があるという。こうした際立った特徴のあるスポットが、どうして地元民以外には長く知られることなく、今に至ったのか。

わたしは、布袋大仏が昭和29年には開眼していた事実ではなく、それらのスポットがここにきて俄然注目を浴びはじめた意味について考えてみたい。

19世紀末という時代の空気がシュールレアリスムを生み、20世紀初頭に花開いたとすると、20世紀末の空気のなかで生まれ、21世紀初頭に花開いた文化というものがあってもおかしくないはずである。仮に100年後に今の時代をふり返った場合、そこにははっきりとした文化的な偏り、よく言えば特性が、クリアに浮かび上がることが予想される。現在その渦中にいるわれわれには、まさに渦中にいるがために見えにくいが、それはたしかにあるのである。それはいったいどんな特性だろうか。

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「日本全国津々うりゃうりゃ」宮田珠己
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