Saku
色々辛いことあるけどさ、前を向いて生きていこうよ。

毒親

過酷な幼少期を乗り越えるために必要だった怒りはもう必要ない

毒には怒りで対抗する少年時代

社会生活にも随分慣れてきた今、これまでの人生の過酷な環境は一体何だったのだろうと思うことがよくあります。

ほんの少し自分の意見を言うために多大な勇気を必要とし、反発をする覚悟で行動に出ないといけなかった少年時代。

私の感情的でカッとなりやすい性格はこの時代に醸成され、もはやそれは必然だったと思います。

まともな精神では正気を保っていられない環境ですから。

周囲のおかしな大人に対抗するためには自分も狂気をまとわねばならなかったんですね。

 

自らの感情に振り回される

でも、今その勢いで行動に出ると周囲の人が引いていってしまう。

この当然の結果から、自分がまともな世界に居ることを実感できます。

それと同時に過去に必要だった心構えなどは捨ててしまってもよいということも。

でも、なかなかその点を変えられない自分が居ました。

人に何かを伝えるためには捨て身の覚悟で主張しないとまともな内容が話せないのです。

穏やかに話すと気持ちが負けて、やましい人のようになってしまう。

すごく困ったことです。

私にとって感情的になることは自分を見失うことではなく、自分らしさを発揮することなのですから、これではなかなか世間から理解されません。

 

これからわかることは過去、自分の周りには怒りに訴えないと話を聞いてくれない人が渦巻いていたということでしょう。

私の本質を見て思いやってくれた人がどれくらい居たのか。

誰からも上辺だけ見られて評価され、一人心の中でもがいていた過去を思い出します。

 

類は友を呼ぶと言いますが、逆に、違う種類のものは友にはならないのも確かではないでしょうか。

毒親のような人のそばに寄ってくる人がまともな人であるわけがない。

まともな人はいったん近寄っても、性格を察すると距離をおくと思います。

その過程で、凝縮された毒の人間関係に囲まれて育つ子供。

まともな人間関係にふれることがなくても不思議ではありませんね。

私は随分歪んだ世界で育ってきました。

そして、その世界に過剰適応した結果、アダルトチルドレンと化したのです。

自分で自分を縛ることから解放

でも、もう人に対して怒ってばかりいなくてもいいことも見えてきました。

今、私の周りの人は、私のことを基本的な信頼感があることを前提に見てくれているのです。

私の怒りの行動は、それが無い人を想定してのものです。

私のことをこれっぽっちも気にかけない人に対しても通用する怒りのオーラを私はまとっていたのです。

それは毒親サバイバーが生き抜くために身につけてきたものです。

 

でも、環境は過去と今では全く違っています。

優しい人というのは意外と周りにいるものだと感じます。

私は段々冷静になってきました。

 

アダルトチルドレンを卒業する旅は果てしなく長いですが、暗いところから少しずつ光のほうに近寄っていくように、自分の立ち位置が変わってきているように感じます。

毒親という原因から遠ざかるだけでなく、自分の中に育った不要な感情にも別れを告げることが必要で、そのあたりも少しずつですが変化してきています。

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