モラハラ父を倒した日

スパルタ教育の父

毒親と言えば私にとっては母のイメージが強いですが、実は父親もなかなか強い毒を持っています。

特に私がギャンブル好きになったのは間違いなく父の影響です。

父の性格についてもそうですが、その教育方法にも原因があると思えます。

父は私が幼い頃から私に勉強をさせ、できなければ声を上げて怒りました。

幼稚園に入る前にアナログ時計の見方がわからないからって怒るんですよ。

初めて見る時計を少し説明されたからってわかるわけはないでしょうに。

他には、幼稚園で九九を言ったりしていました。

こうして私は必死に勉強をするくせがついていきました。

 

自分が周りより勉強ができることに優越感は感じていましたが、あまり父から褒められることはありませんでした。

勉強をすることは疲れ、ストレスを感じますが、確かに人に対して優位に立てます。

そのことに対する満足感はあるものの、感情面での心が満たされないために欲求不満を感じることになりました。

ですので、抑圧された感情があり、どこかでそれを吐き出さなければならない状況になっていたと思います。

(自分は偉いからもっと認められてもいいはずだ。もっと頑張り、もっと活躍するぞ。しかし、何か疲れるな…。何か楽しいことないかな。)

小学校低学年の時点でこういう気持ちを持っていました。

塾通いでスパルタ教育ぶりがさらに加速

父親は徹底して勉強には厳しい人でした。

私が塾通いを始めると、毎週の日曜テストの順位を棒グラフにして、その紙を壁に貼っていました。

まるで営業マンの成績グラフのようです。

 

そのテストは3000人くらい受けるテストで、上位数百人のみ名前と点数と順位が塾に張り出されるものでした。

点数が良いと父親の機嫌がよく、悪いと私は厳しく叱責されました。

悪かったときの次の回は良い点が取れるか不安でたまりませんでした。

良い結果のときでもただ父親の機嫌が良いだけで、特に私自身の何かが認められるわけではありませんでした。

父親を喜ばせるために勉強していたようなものです。

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教育熱心な面とのギャップ

そんな父でしたが、父自身はパチンコが大好きでした。

深夜はテレビのパチンコ番組を見ていましたし、家にはパチンコの景品のお菓子が大量に置いてありました。

また、平日は二度寝、三度寝をするのに休みの日曜日のときだけやけに早起きでした。

そして、10時ごろにいそいそと外に出かけていました。

それがパチンコ屋に行くためだと知ったのは後のことです。

 

勉強は何のためにするのか?それは学歴をつけるためでした。

でも、パチンコに熱中している人が子供には勉強を無理強いするのはおかしいでしょう?

私は学ぶことの心地よさや、楽しさを知ることのないまま、得点マシーンのようになっていきました。

そして、ギャンブルへのはしりとなるゲームセンター通いなどが始まりました。

逆らうことを許さない父

私の母が自由を許さない毒親だったとすると、父は反抗を許さない毒親でした。

子は親に従うものだという昭和(もっと前?)の価値観で、その世界観を一言で言うと丁稚奉公のような感じです。

親の意見に対して子供が対等に意見を述べることなど決して許されませんでした。

口癖は「親に逆らうのか?」でした。

 

当時はそれが普通の親だと思っていましたが、とんでもない。

私は学習塾で子供や保護者を相手にしていますが、そのような親に出会うことは稀です。

当然家庭内の様子はわかりませんが、言葉の端々から子供のことをどう思っているのかはわかるものです。

親の意思を押し付けず、子供の気持ちを尊重する親がほとんどです。

 

私の父は…私が気持ちを考えてくれなどと言うと、苦笑して「何を甘ったれたことを言う」と言うぐらい、気持ちなどは無視する人でした。

厳格さとパワーで家庭をまとめるところは良かったのですが、そこに魅力が欠けていました。

将来父親みたいな大人になりたいかと聞かれれば、答えはNOでした。

遊び心やユーモアはあるのですが、それ以上に人間としての心が狭く、威圧的な態度で接してこられました。

私が自分のことで悩みを抱えていても、相談に乗ってくれるばかりか、悩み心配していること自体に怒ってきました。

「何をいちいち心配してるんだ!」というようにです。

これでは私の気持ちのやり場がありません。

 

Suck
毒親って人の話を全く聞く気がないんですよね。

 

持ち前のモラルの無さで私の心を侵食した父

また、随分人間的にけなされました。

事実に基づいて改善を促すのでなく、ただ馬鹿にするのです。

私が高校生の時に私を撮影した体育祭の写真を見て、笑いながら「間抜け面しとるな」と言ってみせたり、すっきり短く切った髪の毛を見て何かに例えて笑いものにしたり。

とにかくモラルがないのです。

仮にそのように馬鹿にされたときに、苦言を呈するとどうなるか。

悪気がないつもりなのでしょうか、「何をムキになって怒ってるんだ。こっちはそんなつもりで言ってるんじゃない。反抗するな。」と返ってきます。

それでも食い下がると、「何を言う!」と怒鳴り、喧嘩一歩手前の状態に持っていかれるので私は引き下がるしかありませんでした。

今こうして書いていても腹が立ってくるのですが、私には人権は無かったのでしょうか。

人として嫌なこと、やめてもらいたいこと、それらを言っても聞き入れてもらえず、正しいことのように押し通されるのが常でした。

本当に、モラルの無さは一級品です。

大震災が起こって新聞が日々死者数を報じているのを見て、(死者数が)○○人になった!などと盛り上がるような人ですから。

大人になって振り返ると、かなりあり得ないと思います。

 

アンバランスな大人の父

過保護かつ過干渉な母親と、決して逆らうことを許さず、従順であることを求める父。

親と同居していた時代に私にとって厄介だったのはどちらかと言えば父でした。

自我の確立をしなければならない中学、高校時代においてこの人の存在がどれだけ鬱陶しかったか。

理想的な強い父親像とはまた違う意味で強い父親だったので私はその陰に隠れるように生きていました。

私が魅力を感じる価値観があっても、父の希望にかなうものでなければあっさりと却下されてしまう。

そして自分の人生観を押し付け、逆らうことを許さない。

父を怒らせないためには私の気持ちは心にしまっておかねばなりませんでした。

 

それが本当に謙虚で考えがしっかりしている父親だったら尊敬できたのだと思います。

しかし、仕事を嫌々しているような発言をしたり、休日はパチンコ、家ではテレビゲームをしているような父なのに、なぜ私には高い理想を押し付けるのかがわかりませんでした。

父の生き方など大したものではないという思いと、力で従わせるような態度に対する嫌悪感で反抗心が芽生えました。

ただ、そのような反抗心をおくびにも出せなかったので、数年間鬱憤を溜め続けました。

ゲームを独り占めする父が交代をせがむ私に怒るとき、勉強をせずにリビングでくつろいでいたらテレビを見ている父からいきなり怒られたときなど、なぜこんな人から怒られなければならないのかと怒りの気持ちでいっぱいになりました。

 

そして私は自室にこもり体をナイフで傷つけました。

怒りの度合いが大きいほど、傷つける回数が増えました。

そして壁に呪いの文句を書き、部屋をぐちゃぐちゃにします。

ある日落書きを見た父は言いました。

「お前、欲求不満か?」

ええ、見てわからんのかという感じです。(笑)

怒りが噴出しそうな状態

私も高校を卒業し、自分にある程度自信を持てるようになっていました。

それなのに相変わらず尊大で、心が狭く、それなのに自分に甘いところがある父に逆らえない自分が憎くて仕方ありませんでした。

もうあんな父は超えることができるに決まっている!、と思っていました。

 

しかし、父そっくりで幼稚な私は、ゲームをしているのを注意されるとゲーム機を破壊して凶暴性を遠まわしにアピールするなど、煮え切らない態度をとっていました。

そんなときにオロオロしているが、ことの本質を何も見ようとしないのが母でした。

 

この家では各自が好きなように振る舞い、それで問題が起きなければそれでよしとする雰囲気がありました。

しかし、問題が起きなくとも私は心の中で必死に爆発しそうになるのを押さえていました。

そしてどんなに自己確立をしようにも、このしょうもない父親が上に居たのでは自分はずっとみじめな心のままだと考えるようになりました。

本来であれば自己確立は己の内部でのみ行い、そこに他人は介在しないものだと思います。

しかし、私の内部には毒親の毒が脈々と流れ、もはや自分自身に集中できない状態となっていました。

まともな行動を選択できず、他人を巻き込まなければならない人になっていたのです。

親だというだけでそこまで尊敬できない

父親が子供の前に立ちふさがるのはある時点までは父親の役目だと思います。

父には父の人生があり、子供に生き様を背中で語る必要はあります。

しかしながら、いつまでも子供の成長を認めず、未熟な存在として扱うのは筋違いだと思います。

いつまでも自分を主、子供を従と位置づけるのでは子供が自立した心を持つことができません。

また、父は私を人間的に馬鹿にしてはいるが、それができる父はそんなに素晴らしい人間性なのかというとそうは言いがたいです。

パチンコ、ゲーム、若い女への関心を隠そうとしない父にどうやったら従おうという気持ちが生まれるでしょうか。

要は十代の私が父に言いたかったことは、

・いつまでも偉そうにするな

・早く私を支配することをやめて、主体的に生きることをさせてほしい

・私の考え方や価値観にも興味を示して欲しい

です。

後々には、父はそんなことはできない人だったんだとわかることになりますが、とにかく私はそういう普通のことを望んでいました。

大人になってもこれが続くのかと思うと我慢ならなくなった

他人の価値観や考え方を尊重しようともしない父。

私が思う一般家庭は、子供が自由に物事をチャレンジできて、のびのびと育ち、その過程で得たもので自分を形作っていく、そして親はそれを手助けするような家庭です。

もちろんいけないことをしたときは叱り、誤った道に進みそうなときは修正したりしますが、あくまで子供の人生の主役は子供です。

それを親が子供を誘導するどころか、強制的に進ませたい道へ引きずっていき、私がもう大人になろうというときにもそれが変わらず継続している。

私はもう我慢の限界でした。

父がある日、私の勉強のことか何かで注意してきました。

私はよく覚えていませんが、「うるさいな!」とか返したと思います。初めての反抗でした。

私はその一言すら今まで言えませんでした。

言うとどうなるかわかっていたからです。

案の定、父は「お前親に向かって何だその口の利き方は!」と怒鳴り返してきました。

この父は、子供には親に少しも反抗する権利がないというのでしょうか。

私はもう行くところまでいってしまおうと思いました。

「はあ?なんだよ。やるのか?」と私が言うと、父はつかみかかってきました。

私はすかさずパンチを数発食らわせました。

全力でした。その日以降、しばらく私と父は話をしなくなりました。

変わらない父を横目に、少しずつ前に進み始めた

もちろん暴力はいけないことでしたが、私にはもう他に手段がありませんでした。

そのままではずっと親の言いなりだったと思いますし、それまでの父への怒りも積もり積もっていました。私が一歩前に進むにはそうするしか無かったのです。

父からの圧力をはねのけたことによって、私は少しずつ自分の人生と直面していきました。

この後には母からの干渉で苦しむことになるのですが、ともかくそのときは一歩前に進みました。

しかしそれから私が二十代になっても、父はやはり上から高圧的な物の言い方をする人のままで、性格は変わりありませんでした。

本当は父の人への接し方も変えてもらいたいけど、そこまでは言えません。

私自身が父から少しずつ離れることができただけでもよかったと思っています。

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