ホーム 『父系図』坪内祐三 第三回 杉山茂丸・夢野久作 Page 7

茂丸の台華社(築地にあった彼のオフィス――引用者注)に泊まり込んで、茂丸と寝食を共にした人は非常に少ないが、大杉栄 (おおすぎさかえ)が良く泊って行ったのも事実であり、大杉の死を最も悲しんだのも、茂丸と広田弘毅であったことも事実である。

右翼の黒幕と思われていた杉山茂丸が、共産主義者と親しかったとは、誰も考えていないことであろう。

彼が右翼のような姿勢をして表面上やっているときは、最も左翼的な仕事をしている。

大杉栄(1885〜1923)

大正時代の社会運動家。
幸徳秋水らの平民社に加わる。大正元年荒畑寒村と「近代思想」を発刊し、無政府主義を唱えた。大正12年の関東大震災の混乱の中、憲兵大尉甘粕正彦に殺された。

こういう杉山茂丸のスケールの大きさの一番の理解者は、やはり、息子である夢野久作だろう。

先に引用した「近世怪人伝」の少し前の所で、夢野は、杉山茂丸のこういう言葉を紹介している。

「玄洋社一流の真正直に国粋的なイデオロギーでは駄目だ。将来の日本は毛唐と同じような唯物功利主義一点張りの社会を現出するにきまっている。そうした血も涙も無い惨毒そのもののような社会の思潮に、在来の仁義道徳『正直の (こうべ)に神宿る』式のイデオロギーで対抗して行こうとするのは、西洋流の化学薬品に漢方の振出し薬を以て対抗して行くようなものだ。その無敵の唯物功利道徳に対して、それ以上の権謀術数と、それ以上の惨毒な怪線を放射して、その惨毒を克服して行けるものは天下に俺一人しか居ない筈だ。だから俺は、俺一人で……ホントウに俺一人で闘って行かねばならぬ。俺みたいな人間はほかに居る筈がないと同時に、俺みたいな真似は他人にさせてはならないのだ。だから俺は、どこまでも……どもまでも俺一人で行くのだ」

杉山は言う。「俺一人で闘って行かねばならぬ」と。

しかし実はもう一人、同じ闘いを行なおうと決意していたはずの人がいる。

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