ホーム 『父系図』坪内祐三 第三回 杉山茂丸・夢野久作 Page 6

去年の大相撲五月場所が開かれていたある土曜日、私は、テレビの相撲中継を見ようと思って、神保町すずらん通りの居酒屋「浅野屋」に入った。

すると田村さん夫妻がテーブル席にいて、田村さんがウーロン茶を、奥さんは生ビールを飲んでいた。

病院からの退院許可が出て、神保町界隈の古本関係者に挨拶して、ここに来たのだという。

さらに話を続けているうちに、杉山・夢野父子の手紙の話題になった。

なないろさん(田村さんのことを私はこう呼んでいた)、それ凄いよ。オレ、知り合いの新聞記者に連絡するよ、と言った。

最近はどうでもよいような原稿や書簡の「新発見」スクープ記事が新聞に載りがちだが、この杉山・夢野の未発表の手紙は充分記事に値すると私は考えた。

そして同年七月二〜四日の「七夕古書大入札会」の直前に、朝日と毎日で記事になったのだが、これらの手紙は入札されなかった(つまり田村さんの手元には一銭も入らなかった)。

私宛の田村さんからの未投函の手紙を読みながら、私は、今回のこの連載を杉山茂丸・夢野久作の父子で行くことに決めた。

杉山茂丸は元治元(一八六四)年福岡城下因幡町大横丁で杉山三郎平の長男として生まれた。

父三郎平は福岡藩(黒田家)の馬廻役 (うままわりやく)で、維新後の廃藩置県による「帰農在住」によって福岡近郊の芦屋浦という海岸の村に移り、やがて彼は私塾を開く。

しかし茂丸は血気盛んな若者で(あの『花と龍』で知られる吉田磯吉 (よしだいそきち)も少年時代の茂丸の子分だった)。十代にして上京し、山岡鉄舟 (やまおかてっしゅう)の面識を得る。

吉田磯吉(1867〜1936)

明治〜昭和初期の実業家・政治家。
松山藩士の家に生まれたが、脱藩。維新後、石炭輸送で成功し、芦屋鉄道社長などを務めたのち、大正14年に衆議院議員初当選。その後、昭和7年まで議員を務める。

山岡鉄舟(1836〜1888)

幕末〜明治時代の剣術家・官僚。
千葉周作に剣を学ぶ。江戸開城のため、勝海舟・西郷隆盛会談の道を開く。維新後は明治天皇の侍従を務めた。

写真/国会図書館HP

山岡鉄舟

そして鉄舟の紹介状を持って素手で初代総理大臣伊藤博文 (いとうひろふみ)の暗殺に向かう(何故なら日本を白人たちの奴隷にしようとする元凶は薩長の政治家たちでそのトップにいるのが伊藤博文だから)。

伊藤博文(1841〜1909)

幕末〜明治の政治家。
周防(山口県)の農家の家に生まれ、松下村塾で学ぶ。維新後、内閣制度を創設して明治18年初代首相となる。33年には政友会を創立して総裁に就任。42年10月26日、ハルピン駅で安重根に暗殺される。

写真/国会図書館HP

伊藤博文

だが、山岡鉄舟の紹介状を持って(その紹介状には茂丸の人物像についてかなり正直なことが書かれていた)、素手で自分を殺しに来た杉山青年のことを伊藤博文は気に入り、杉山青年は青年で、伊藤が写真でイメージしていたのとは違う「すこぶる貧乏らしき顔をした小男」であることに驚き、二人は、年齢の差を忘れて、共に国のために働こうと語り合い、別れた。

その同じ年、明治十八(一八八五)年、頭山満と出会い、彼から、「才は沈才たるべし、勇は沈勇たるべし、孝は至孝たるべし、忠は至忠たるべし、何事も気を負うて憤りを発し、出た処勝負に無念晴しをするは、その事が仮令忠孝の善事があっても、不善事に勝る悪結果となるものである」(『百魔』)と諭され、テロリストとしての道を捨て、こののち、黒幕、ホラ丸として日本の国事に取り組むことになる。

しかもその国事のスケールがとてつもなく大きい。

杉山茂丸について書かれたものは数多くあるが、その中でもベストをあげれば、夢野久作の「父杉山茂丸を語る」と「近世怪人伝」(共にちくま文庫の『夢野久作全集』第十一巻に収録)だろう。

「近世怪人伝」の「杉山茂丸」(ちなみにその前に登場するのが「頭山満」だ)で夢野久作はこう述べている。

彼は現代に於ける最高度の宣伝上手である。彼に説明させると日清日露の両戦争の裡面の消息が手に取る如くわかると同時に、その両戦役が、彼の指先加減一つで火蓋を切られた事が首肯されて来る。世人はだから彼を綽名 (あだな)して法螺丸 (ほらまる)という。しかし一旦、彼に接して、彼の生活に深入りしてみると、その両戦役前後に於ける朝野の巨頭連は皆、彼と深交があった事がわかる。事ある (ごと)に彼に呼び付けられて、お説教を喰って引退っていた事が、事実上に証明されて来る。

杉山茂丸はレーニンや孫文 (そんぶん)とも深い交流があった。つまり右翼であるはずの杉山茂丸は三民主義や共産主義にも理解があった。

この点をふまえて彼の孫の杉山龍丸は、「杉山茂丸の生涯」(『思想の科学』一九七〇年十二月号・ただし引用は『夢野久作の世界』平河出版 一九七五年による)で、こう述べている。

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