ホーム 『父系図』坪内祐三 第三回 杉山茂丸・夢野久作 Page 5

今書いているこの原稿は締め切り日をもう四日も過ぎている。

つまり、一月十三日が締め切り日であったのに、この原稿を書いている今日は一月十七日だ。

今年(二〇一一年)元旦、私の親しい友人である田村治芳 (たむらはるよし)が亡くなったという知らせを受けた。

古本屋「なないろ文庫ふしぎ堂」の店主で雑誌『『彷書月刊』 (ほうしょげっかん)』の編集兼発行

『彷書月刊』

昭和59年創刊。田村治芳主宰。
古書と古書店の情報誌。

『彷書月刊』

人であった田村さんは、二年前の秋にガンを患い、闘病生活を続けていた。

一月六日、七日に小石川伝通院 (でんずういん)で行われた通夜、告別式、さらにその後の儀式にも参列した。そして(これは以前から決まっていたことだが)、『SPA!』や『本の雑誌』の対談が続けてあった。

で、予定より原稿執筆開始が遅れてしまった(私はかなりスケジュールに計画的な執筆者のつもりなのだ)。

田村さんの告別式の時まで、私は、今回のこの連載の「父子」を最終的に決めていなかった(幾つかの候補があった)。

田村さんの斎場には田村さんゆかりの本や雑誌、写真、原稿、書簡などが並べてあるコーナーがあった。

その中に、去年の夏前に書かれたと思われる私宛の未投函の手紙もあった。

その手紙で田村さんは私に、こう語りかけていた。

実は、七月の明治古典会の七夕古書大入札会用に、×××××の×××様より、出品物を預かり、現在、整理中です。これが不思議な縁のもので、杉山茂丸と夢野久作の書簡なのです。杉山茂丸が外につくった三人の女性がいて、茂丸が亡くなった時に、久作が後始末をするという話がありますが……

その夢野の異母妹宛の夢野と杉山茂丸のハガキや書簡が百通以上発見されたのだという。「不思議な縁」というのは多分、『彷書月刊』との縁を指しているのだろう。

『彷書月刊』のブレーンの一人に夢野久作研究の第一人者の西海和海さんがいて、『彷書月刊』は夢野久作の特集を四回か五回組んでいる(それだけではなく『神出鬼没 杉山茂丸』という特集号〔二〇〇五年八月号〕さえ出している)。

西海和海(1942〜)

評論家。夢野久作研究で知られる。

一九八五年に創刊されたその『彷書月刊』は、経済的理由によって、二〇一〇年十月号をもって終刊することが決定していた。

しかし財政難に変りはなかった。その財政不足を少しでも補うべく、田村さんは某氏より託された杉山・夢野書簡を「七夕古書大入札会」に出品することに決めたのだ。

「七夕古書大入札会」は一年で最大の古書入札市で、業者だけでなく、一般の人もその入札に参加出来るので、話題性を含めて、売り上げを期待できるのだ(出品者から依託された業者――この場合は田村さん――は売れた場合に手数料――たしか十パーセント―― が収入になり、それを田村さんは『彷書月刊』の終刊の資金の一部にあてようと考えていたのだろう)。特に手紙や生原稿などの「一点物」は高額を期待出来る。

私宛のその手紙が何故投函されなかったのかと言えば、田村さんがこの手紙を認めた直後、私たちは偶然、神保町の居酒屋で出会ったからだ。

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