ホーム 『父系図』坪内祐三 第三回 杉山茂丸・夢野久作 Page 4

つまり私は、花田清輝と玄洋社を関係づける架空の書物を頭の中で思い浮かべ、それをかってに味読していたのである。その本には、もちろん、杉山茂丸、夢野久作親子をはじめとするさまざまな人びとが枝葉のように登場してくる。いやむしろ、その枝葉の方が、大きなスペースを占めてしまうかもしれない。なにしろ、私の頭の中の書物なのだから、その辺は自由自在だ。

続けて私は、「しかもついこの間読み終えたばかりの新刊、花田清輝とも縁の深い思想家・鶴見俊輔のインタビュー式自伝『期待と回想』上下巻(晶文社 一九九七年)によって、私のその架空の書物は、ますます大きなものとなっていく」と述べたのち、『期待と回想』のこういう箇所を引いている。

杉山龍丸杉山茂丸と夢野久作という父親と息子の関係に興味をもっていたのですが、意外なことに夢野久作の長男の杉山龍丸 (すぎやまたつまる)さんという人物が現れて、私の家に何度もやってきたんです。私が夢野久作について二十枚ほどの原稿を書いた(一九六二年)ことがきっかけなんです。手紙を送ってきて、それから来るときはかならず伊勢名物の「赤福」を持ってきたんですよ。京都駅で買ってきたのでしょ。

九州に住んでいた杉山龍丸が「伊勢名物の『赤福』」を土産に持ってきたというのはこの人(一族)の精神を知る上で重要だが、この一節に目を通した直後、三軒茶屋の古本屋の百円均一台で杉山龍丸の『飢餓を生きる人々』(潮新書 一九七三年)を見つけた。

サブタイトルに「ガンジー翁の運動とは何か」とあるその本を一読して私は、杉山龍丸が祖父茂丸や父夢野久作に負けず劣らずスケールの大きな人物であることを知った。

杉山龍丸は戦中、陸軍の航空技術将校で特攻機の生みの親だ。それがなぜ、ガンジーの平和運動と結びつくのだろうか。転向したのだろうか。いや、そんな単純なものではない。

彼自身の言葉に耳を傾けてみよう。

杉山龍丸(1919〜1987)

日本の陸軍軍人。夢野久作の長男。
陸軍少佐で終戦を迎え、戦後3万坪の農地を売り、インドの緑化費用にあてた。「インドの緑の父(Green Father)」と呼ばれる。

杉山龍丸

さて、このようになった経緯を説明しろといわれると、玄洋社は右翼、軍人は戦犯と断定するというか、割り切るというか、そのような考えをもつ日本人に、どう説明してよいかわからぬ。どう考えても、人は、日本人は、何かの為にするために、私がこのようにしたのではないか、また、祖父以来の歴史的なものがあったのではないかとか、いろいろ勘ぐられると、どうにも説明がつかない。

つまり杉山一族の日本人離れした精神についてきちんと説明しようとしたら、その血族の中心にいる杉山龍丸でさえ「説明がつかない」のである。

まして、それを私が説明しようとしたならば……。

それが私が、杉山茂丸、夢野久作親子について描くのは「まだずっと先のつもりでいた」理由だ。

では何故、今回か、と言えば、「説明」のポイントが見つかったわけではない。

たとえ説明出来なくなくとも、つまりスケッチ的なものになろうとも、この連載の場を借りて杉山茂丸と夢野久作父子に触れるべき出来事があったのだ。

前のページ

次のページ

「父系図」坪内祐三
第三回 杉山茂丸・夢野久作

目次  1   2   3   4   5   6   7   8