ホーム 『父系図』坪内祐三 第三回 杉山茂丸・夢野久作 Page 3

そのことをふまえて草森紳一 (くさもりしんいち)は『食客風雲録 日本篇』(青土社 一九九七年)で、こう述べている。

草森紳一(1938〜2008)

昭和後期〜平成時代の評論家・中国文学者。
婦人画報社の編集者を経て評論家活動に入る。
分野は美術、写真、音楽から中国文学・哲学と多岐にわたる。

彼のものした史伝類や内幕物を、歴史学者たちは無視する。近代史の重要な証言者と知りつつも、彼の「ほら」に惑わされる。ために警戒し、あげくに敬遠する。へたにさわると、ヤケドする危険な書であり、臆病な学者が敬遠するのも、ごもっとも、ごもっともである。

そして草森紳一は、「ほら」つまり「伝聞」は常に、「間違い」「ウソ」であると簡単に片づけることが出来るだろうか、と疑問を呈し、茂丸の『百魔』を、やはり伝聞を中心にまとめられたものの、それが真実であることを「文章中の大発掘で、ほぼ実証された」という、司馬遷 (しばせん)の『史記 (しき)』と比較論じている。

杉山茂丸の親しい友人に玄洋社 (げんようしゃ)頭山満 (とうやまみつる)がいて、実は私は玄洋社のことを、杉山茂丸を知る以前、いや夢野久作を知るよりずっと前、高校生の時から興味を持っていた。

玄洋社

頭山満らを中心とする右翼団体。明治14年自由民権運動の一翼として発足。次第に右傾化し、大陸進出を推進した。昭和21年に解散。

頭山満(1855〜1944)

明治〜昭和時代前期の国家主義者。
自由民権運動に加わり、明治12年に向陽社を、14年に玄洋社を結成。その後国権論へと転じ、大アジア主義を唱えて日本の大陸進出を画策した。

写真/国会図書館HP

頭山満

高校三年の時に城山三郎 (しろやまさぶろう)の長篇小説『落日燃ゆ』を読んで感銘を受けた。『落日燃ゆ』は広田弘毅 (ひろたこうき)元総理大臣の生涯を描いた作品で、広田弘毅は文官でありながら(つまり軍人でないのに)、ただ一人、東京裁判で絞首刑判決を受けた人物だ。

城山三郎(1927〜2007)

昭和後期〜平成の小説家。
愛知大学で経済学の講師を勤めながら小説を発表。昭和34年「総会屋錦城」で直木賞を受賞し、経済小説の開拓者となる。

広田弘毅(1878〜1948)

明治〜昭和時代前期の外交官・政治家。
斎藤内閣・岡田内閣の外相談を経て昭和11年の二・二六事件後首相となる。太平洋戦争末期、ソ連を仲介とする和平工作に失敗。文官中ただ一人A級戦犯として処刑される。

写真/国会図書館HP

広田弘毅

広田がそのような判決を受けた理由は、九州福岡出身の彼が地元の右翼結社玄洋社のメンバーだったからと言われている。

そこで私は初めて玄洋社の名前を知った。

大学に入学した私は花田清輝 (はなだきよてる)の愛読者になり、そこでもまた玄洋社の名前が登場した。

花田清輝(1909〜1974)

昭和時代の評論家・小説家・劇作家。
中野秀人らと「文化組織」を創刊し、評論を発表、「復興期の精神」にまとめた。戦後は新日本文学会に属し、前衛芸術運動を推進した。

すなわち、やはり福岡出身だった花田清輝は若き日、玄洋社の大物進藤一馬 (しんどうかずま)の世話になり、玄洋社のメンバーだった中野正剛 (なかのせいごう)の弟・中野秀人 (なかのひでと)と共に雑誌『我観』を発行する(この経歴によって戦後花田は高見順 (たかみじゅん)吉本隆明 (よしもとたかあき)たちから、ファシストからの転向者と因縁をつけられることになる)。

進藤一馬(1904〜1992)

昭和時代の政治家。
東方会に入り、中野正剛に師事した。
九州日報社取締役、東方時報社長をつとめ、昭和19年玄洋社社長となる。

中野正剛(1886〜1943)

大正〜昭和時代前期の政治家。
「東京朝日新聞」記者を経て東方時論主筆となり、後社長。昭和11年東方会を結成し、南進論を提唱した。

写真/国会図書館HP

中野正剛

中野秀人(1898〜1966)

大正〜昭和時代の詩人・画家。
大正9年プロレタリア文学評論「第四階級の文学」を発表。昭和15年花田清輝らと「文化組織」を創刊し、戦後も前衛的な創作活動を続けた。

『我観』我観社刊

『我観』我観社刊。

高見 順(1907〜1965)

昭和時代の小説家・詩人。
学生時代から左翼運動をに参加。
コロムビアレコードに勤務し、昭和8年組合活動で検挙されて転向。

吉本隆明(1924〜)

昭和後期〜平成時代の詩人・評論家。
昭和30年代、「芸術的抵抗と挫折」などで文学者の戦争責任や転向を問い、論壇に登場。安保闘争では全学連主流派を支持した。

玄洋社について私なりの調べを始めていったら、玄洋社がいわゆる右翼を超えたもっと大きな存在であることを知った。

そして、創設者の頭山満と並ぶキーパーソン(いや頭山以上のキーパーソン)に杉山茂丸がいたことも知った(ただし杉山茂丸は玄洋社の正式メンバーではなかったはずだ)。

だから、夢野久作の作品を知る前から私は杉山茂丸と夢野久作の親子関係に興味を持っていた。

二人の著書を読んだのち、さらに強い興味を持った。

十数年前にある雑誌に発表した「『玄洋社発掘』を読みはじめていた」という評論(『古くさいぞ私は』晶文社 二〇〇〇年に収録)で私はこう書いている。

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