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私が『ドグラ・マグラ』を読まなければと思ったのは、松本俊夫 (まつもととしお)監督の映画『ドグラ・マグラ』(一九八八年)によってだった。

映画『ドグラ・マグラ』

松本俊夫監督。昭和63年公開。

映画『ドグラ・マグラ』

ロードショーではなく五反田にあった二番館で見たのだが素晴らしい映画だった。

正木 (まさき)博士の役は今は亡き桂枝雀 (かつらしじゃく)で、私は枝雀好きの友人に連れられて彼の高座を何度か体験したが今いちピンとこなかった。

桂枝雀 二代目(1939〜1999)

昭和後期〜平成時代の落語家。
桂米朝に入門し、枝雀を襲名する。
古典落語を現代風にアレンジすることで新境地を開く。

しかしこの映画での桂枝雀の演技にはビンビン来た。まさに鬼気迫る名演だった(実は私はこの映画をその後一度も見直していないのだが枝雀がああいう死に方をした上で今見たらどのような感想をいだくだろう)。

室田日出男 (むろたひでお)江波杏子 (えなみきょうこ)も小林かおりも素晴らしかった(そういえば主演の呉一郎 (くれいちろう)青年役をやった松田洋治は今どうしているのだろうか)。

枝雀の名演について鶴見俊輔 (つるみしゅんすけ)(杉山・夢野親子を論じる時のキーパーソンの一人が鶴見俊輔だと思う)も『夢野久作 迷宮の住人』(リブロポート 一九九〇年)でこう書いていた。

鶴見俊輔(1922〜)

昭和後期〜平成時代の哲学者・評論家。
丸山真男、武田清子らと「思想の科学」を創刊。
プラグマティズムの紹介や大衆文化論、日常に立脚した哲学を展開させた。

役柄は、正木博士に落語家桂枝雀を起用するところからはじまったという。桂枝雀は、この役を恐れていなかった(今改めてこのフレーズを読むと凄い――引用者注)。医大教室でアホダラ経で講義をするところは、教室の学生たちだけでなく、観客をものせるだけの芸であった。

『百魔』

同じ頃(一九八九年頃)、夢野久作の父・杉山茂丸の『百魔』(講談社学術文庫 一九八八年)を読んだ。

『百魔』

杉山茂丸が、自らの政治活動のなかで出会った伊藤博文や星一といった著名な政治家や財界人を始め、無名の一般庶民にいたるまでの様々な人々との交遊を痛快に綴った近代人物伝。

『百魔』

この書の存在を私に教えてくれたのは由良君美 (ゆらきみよし)だった。西原和海 (にしはらかずみ)篇『夢野久作の世界』(平河出版 一九七五年)に収録された「夢野久作の父の文学的足跡」という一文で由良君美は『百魔』について、こう書いていた。

由良君美(1929〜1990)

昭和後期〜平成の英文学者。
イギリスのロマン派詩人を研究し、江戸期の異端絵画、映画論などにも関心を深めた。

一代の壮士であった茂丸の波瀾万丈の生涯のあいだに、彼の身辺に渦巻いた傑物たちの列伝であるから、魔人快人百物語といってよく、こんな面白い本は、そうざらにあるものではない。夢野の桁外れの記憶力が、親ゆずりのものであったことは、多くの人が語っているが、『百魔』はなによりも如実に、夢野に遺伝した父茂丸の〈記憶魔〉ぶりを納得させてくれる。

『百魔』は明治日本のきわめて重要な政治や外交の裏面史でありながら、長い間(いやひょっとして今でも)、歴史学者たちの間では無視され続けてきた(いる)。

講談社学術文庫で覆刻されるまでずっと、ある種の稀書だった(かつてのベストとまでは言えないまでも、ベターセラーであったはずなのに古書価格は高かった)。

杉山茂丸はその語り口があまりにも面白過ぎることもあって(夢野久作の語り口の面白さにも定評があったが二人に共通するのは浄瑠璃 (じょうるり)の強い影響だ)、別名「ホラ丸」とも呼ばれた。

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映画『ドグラ・マグラ』
松本俊夫監督。昭和63年公開。

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