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「父系図」坪内祐三

第二回
「在野・反骨・熱血」の遺伝子

写真協力/内田絢子

内田魯庵

・内田 魯庵

(うちだ ろあん)

評論家・作家

内田巌

・内田 巌

(うちだ いわお)

画家

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雑誌『ノーサイド』の表紙を飾った、内田魯庵・巌親子の写真

内田魯庵 (うちだ・ろあん)

内田魯庵 (うちだ・ろあん)

内田巌 (うちだ・いわお)

内田巌 (うちだ・いわお)

前回つまりこの連載の第一回でも述べたように、私は、文藝春秋から出ていた雑誌『ノーサイド』一九九四年八月号の「明治大正昭和異色の父と子100組」という特集を企画編集した。

その特集号の表紙を飾ったのが内田魯庵と巌の父子だった

内田魯庵・巌親子

雑誌『ノーサイド』の表紙を飾った、内田魯庵・巌親子の写真

雑誌『ノーサイド』の表紙を飾った、内田魯庵・巌親子の写真

さらに、これまた前回述べたように、前回のテーマとした淡島椿岳 (あわしまちんがく)寒月 (かんげつ)父子に私が本格的に興味を持っていったのは内田魯庵の回想集『思い出す人々』によってだった。

だから、その当然の流れとして、今回は内田魯庵と巌の父子を紹介する(次回以降はたぶん、成り行き)。

内田魯庵(慶応四・一八六八年〜昭和四・一九二九年)は文芸評論家、作家、随筆家、翻訳家。

そしてその息子(長男)である内田巌(明治三十三・一九〇〇年〜昭和二十八・一九五三年)は画家。

どちらの方が有名か、と言えば、それはたぶん魯庵の方だろう。

なにしろ内田巌の本格的な展覧会は没後五十年となる平成十六(二〇〇四)年まで待たなければならなかったのだから(その前年、つまり本当の没後五十年に東京湯島のあるギャラリーで「没後五十年」展が行われ、私は当然見に行ったが、期間は僅か一週間だった)。

しかし実は私は、魯庵の名前を知るずっと前、高校生の時から画家・内田巌の存在を知っていた。

その前に、魯庵との出会いについて語ろう。

普通程度の文学青年だった私が内田魯庵の名前を知ったのは高校を卒業する頃だったと思う。

たぶん大学入試用の文学史の問題か何かで知ったのだろう。

当時の私は、幸田露伴 (こうだろはん)のことだって(そのハイカラ振りは知らずに)、とても古くさく感じていたから、内田魯庵は、それ以上に、つまり魯庵という響きは露伴以上に、古くさく思えた(実は魯庵は露伴よりもっとハイカラであったのに)。

幸田露伴(1867〜1947)

明治〜昭和時代の小説家。
明治25年の「五重の塔」で尾崎紅葉とならぶ文名を得る。のちに史伝や随筆、考証に力を入れる。

初めて魯庵の作品(が入った全集の端本)を買ったのは大学四年か五年の時だったと思う。

その頃になると(そしてそれは今でも続いているのだが)、私の好みの読書ジャンルの一つに文学的回想物が加わった。

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