ホーム 『モルテン食いたりないよね^q^』田辺青蛙 第7回 硝子の島と墓場の島 Page 1



第7回:硝子の島と墓場の島


今日も鐘の音で目をさまし、朝ごはんを食べるカフェを探すことから始まった。

サクサクに焼かれたパンの間に挟まった、味の濃いフレッシュな野菜。

絞りたてのオレンジジュースは夏バテ防止の為に、毎朝飲むことにしている。

どれも1つのサイズが大きいので、半分ずつシェアしていい? とおそるおそる聞いてみると毎回、花の咲いたような笑顔で勿論! と返って来るのが嬉しい。

今のところ、スーパー以外殆ど英語で通じるし、イタリア語しかメニューがなくってもiPhoneの辞書に単語を入れればだいたい何が出てくるか想像出来た。

トラブルらしい、トラブルにも合わず、時々熱中症気味になってしまうこと以外は平穏な旅を続けている。


朝食を終え、8時頃にヴァポレット(水上バス)に乗って、私と夫はヴェネチアン・グラスで知られるムラーノ島に向かった。

ヴァポレットの乗り場にはアクア・アルタの注意書きの張り紙がしてあった。

アクア・アルタは満潮によって起こる町の浸水現象のことで、時期によってはあちらこちらが水没してしまう。その時この島は、水に浸かった部分が鏡のようになって景色が映って見えるという。

だがその水には鳩のフンや汚水も混ざっていて、見た目は美しくとも臭いもあって色々と厄介な物らしい。

今は幸いなことにアクア・アルタが起こる季節ではないらしいが、シーズン中には1mほどの高さまで浸水してしまう事があるらしい。

ヴェニスは現在ゆっくりと沈みつつある町でもある。そう考えながら見ると、より一層周りにある景色が儚く愛おしく感じられた。


ムラーノ島の現在の人口は5000~6000人ほどで、殆どが硝子工芸に関わる仕事に就いているそうだ。

朝のムラーノ島
朝のムラーノ島

心地よい海風を受けながら、ヴァポレットでの移動を楽しんだ後に島に降り立ったのはいいけれど、朝の9時という時間が悪かったのか、行けども行けども開いている店が見当たらなかった。

夫は硝子の博物館へ行ってみたいと言っていたので、そこが開く10時までしばらくの間、ぶらぶらとムラーノ島を当てもなく散歩することに決めた。

島には何故か男女のカップルの写真があちらこちらに貼られていた。

教会と広場、この近くに沢山カップルの写真が貼られていました
教会と広場、この近くに沢山カップルの写真が貼られていました

橋の欄干、家の壁、扉とそれこそ、そこら中にあり、下に小さな文字で何やら日付と共にメッセージが書きこまれていた。

若いカップルの見た目はどこにでもいそうな二人で、芸能人とかではなさそうだった。

写真の下に書かれた文字の意味が気になったので、iPhoneの辞書に叩き込んで早速意味を調べてみたら、初めてのデートだの、2年目の記念日等の言葉が出て来た。

見知らぬカップルの写真を追ううちに、島の住人らしき人が私達の姿を見て、これは今度ここで結婚式を挙げる予定の二人だということを教えてくれた。

島全体で祝うので、こうやって島中に告知をしているんだという事を身振り手振りを交えながら説明してくれて、最後にイタリアでは離婚が滅多なことでは出来ないので、これくらいの覚悟がないと一緒になんてなれないんですということを言って、どこかへと立ち去って行った。

観光客が毎日山のように訪れるという、ムラーノ島中に貼られた写真に映っている二人は、どんな気持ちで式を挙げるのだろうということを夫と話ながら散歩を続けていると、ターシャチューダのようなお婆さんが鉢植えに水をやっていた。

私達を見ると、顔をくしゃくしゃにした笑顔を浮かべて、早口のイタリア語で何か言ったかと思うと猫を抱き寄せて見せてくれた。

私が猫の頭を撫ぜると、お婆さんはとても満足そうに頷き何かまた話し、庭の中に入り手を振って私達を送り出してくれた。

ヴェネチア本島よりも、どことなくムラーノ島はゆったりとした時間が流れているように感じられた。

ひと気のない煉瓦造りの壁に沿って歩くのも、町並みを見ながらシャッターを切って写真を撮るのも楽しいが、島の人々が自然と話しかけてくれるのが何よりも嬉しかった。

ムラーノ島も煉瓦で出来た建物が多い
ムラーノ島も煉瓦で出来た建物が多い

ムラーノ島では、あちこちにゴミ袋がぶら下がっていた。

どうやら猫が届かない高さに吊るしているらしく、それをリヤカーで収集してから船に積み込んで焼却場に運んでいるらしい。

またまたぶら下がったゴミ袋。臭いはしない
またまたぶら下がったゴミ袋。臭いはしない

車のないヴェニスらしい収集の仕方だなと思いながら見ていると、紐がゴミの重みでブチッと切れて目の前で地面に落ちた。

猫は横目で見てさっと通って行ったので、しつけは出来ているのかも知れない。

本島の井戸は金属製の蓋で覆われていたが、ムラーノ島の井戸は石で蓋がされていた。

石の蓋がされた井戸
石の蓋がされた井戸

ぶらぶらと町を観察するうちに、時計を見ると10時過ぎだったので目的地の硝子の博物館へ戻ることにした。

行ってみると残念なことに、思っていたよりも博物館は小さくそのうえ工房は改装中で中に入ってみることは適わず、10分ほどで殆どの展示品を見終わってしまった。

近くにあった土産店や、工房がぼちぼち開き始めていたのでそちらを見ることにしたのだが、硝子の博物館よりも大きい土産物屋が幾つもあって入場料も無料で、こちらを先に見れば良かったかと後悔してしまう程だった。

誰が購入するのか、土産物屋の商品は大型の物が結構あり硝子のシャンデリアやテーブル、両手を広げた程の大きさの硝子の白鳥や馬等もあった。

お土産と工房を兼ねたお店が沢山ありました
お土産と工房を兼ねたお店が沢山ありました

店内の硝子の置物は何故か大きい物が多い。どうやって持ち帰るのだろうか?
店内の硝子の置物は何故か大きい物が多い。どうやって持ち帰るのだろうか?

この島に来るには移動手段が船しかないので、持ち帰るだけでも随分と手間だろう。

郵送してもらうにしたって、イタリアの郵政事情があまりよくないという噂なのでちゃんと着くかどうかは怪しいものだ。

硝子の工場も幾つか見学してみた。

工場の入り口のところに籠か箱が置いてあり、そこに幾らか料金を入れて見学出来るシステムの所が多く、みな、1~2ユーロを入れているようだった。

飴のようになった硝子をくるくると棒に巻きつけて膨らましたり、鋏で切って様々な形に変化させていくのを見るのは面白かったが、何しろ暑いので十分と経たず私達は外に出てしまった。

花の下を潜ると小さな硝子工房がありました
花の下を潜ると小さな硝子工房がありました

工房内はかなり暑い。工場内にはチップ入れに見学者が1~2ユーロを入れていました
工房内はかなり暑い。工場内にはチップ入れに見学者が1~2ユーロを入れていました

失敗作はここに投げ込まれていた
失敗作はここに投げ込まれていた

硝子を磨く工場。男前に撮影してくれよと頼まれてしまった
硝子を磨く工場。男前に撮影してくれよと頼まれてしまった

最初のうちは面白かった工場と硝子の土産屋巡りだったが、どこも似たような品揃えであることに気が付き、見ることに疲れて来たので運河沿いにあった店に入り昼食を取って小休憩することにした。

席につくとヴェネチアン・グラスのコップが2つとパンが置かれた。

昼食中。グラスは当然ムラーノ製
昼食中。グラスは当然ムラーノ製

メニューはイタリア語しか無かったけれど、そう難しい単語はなかったので魚介のフライとパスタを頼んだ。

時間が少々早かったせいか、客は私達しか居なかったけれど料理はどれも満足のいくもので、値段も本島と比べると随分安かった。

お会計の時に「Buono」と伝えるとそうだろうというように、ニヤリと店主と思わしき男性が笑ってくれた。

運河に沿ってぶらりと歩いていると、教会があり騒がしいので何だろうとそちらに目をやると10人程の集まりがあって中には斧を持った人がいた。

映画の撮影か何かだろうかと声をかけようか迷ったが、夫の斧は危ないから近寄らない方がいいよという声に従い止めることにした。

そんなわけで、未だに教会の前に斧を持った人を含む人だかりが出来ていた理由は謎のままだ。

斧を持った人が混じっているなぞの集団。何かの撮影中だったのだろうか??
斧を持った人が混じっているなぞの集団。何かの撮影中だったのだろうか??

もう少し歩くとデイ・サンティ・マリーア・エ・ドナート聖堂が見えてきた。

白や肌色をした煉瓦の色の美しい教会で、アメリカ人やドイツ人らしき団体客が近くに集まっていた。

お昼の時間の少し前から観光を始める人が多いのだろう。 

団体客の波に飲まれないように、私と夫はヴァポレット乗り場に向かって足早に歩きながら、お土産物屋のショウウィンドウをチラチラと見ながら、何か日本にいる知人や友人に良いものはないかと品定めをしていた。

そんな中、急に夫が足を止めた店があり、そこにはCesare Toffoloという人名とグラス・マスターと書かれていた。

小さな硝子で出来た果物籠とレースが閉じ込められたような模様の入った華奢な花瓶が目に留まったと言って、夫は店の中に吸い込まれるように入って行ってしまった。

店内は2階建てで、初老の女性がレジの奥から何かお探しですかと出て来た。

夫はこの店のショウウィンドウに目が留まって入って来たことを告げると、初老の女性は硝子で出来た食器のセットやら、花瓶やアクセサリーを次々と出して勧めてきた。

硝子のコップは薄く、手に持つと驚くほど軽い。

「全て作家の手作りで、お勧めですよ」

にっこり笑ってお勧めされたのだけれど、手荷物の鞄だけで旅をしている私達は持ち帰るのが骨なので、もっと小さな物はないかと聞いてみた。

アクセサリーも素敵だったのだが、どれも普段Tシャツとジーンズ姿の私には合わせ難く、服も調達せねば身に着けられそうに無い物だったので諦めることにした。

女性は少し考えた後、ショウウィンドウにも飾ってあった、小さな硝子の果物籠と二階の売り場の途中に飾ってあった、硝子の昆虫を指さして、あれはどうかと勧めてきた。

どれもあまりにも細工が繊細だったので、これも持って帰るのが大変だろうと思い、断ろうかと思っていたのだが、夫が、一匹の硝子の昆虫に目が留まるや否や買いますと言い始めた。

「えっ」と驚く間もなく、ユーロの枚数を数え始め夫は会計の準備をしだした。

「こんなの日本まで持って帰れる? 昆虫の脚や触覚がポキンと折れそうで怖いよ」

夫は辞書を片手に、梱包をしっかりいて欲しいと女性に伝えると、心配ないわよと相手は応え、小さな昆虫は綿に包まれ箱に詰めて、さらにプチプチの梱包をされてから手渡された。

「これなら割れないわよ」

「大事に持って帰ります」


夫は満足そうな顔で、硝子の昆虫の入った箱を鞄に入れて外に出た。

夫と一緒に暮らし始めてから5年になるが、衝動買いする姿を見たのは今回が二回目で、一度目はサンフランシスコにいた時に蟹の柄がプリントされたパジャマを買った時だった。あれは、フィッシャーマンズワーフにある、お土産物屋に吊るされていたパジャマで、夫は一目見るなり何かに魅入られたように手に取り、レジに向かっていた。

あのパジャマを買った時の様子を振り返ると、夫も何かに引き寄せられるような運命を感じていたと言っていたので、今回の硝子の昆虫とも惹かれる何かがあったのだろう。

硝子の昆虫を一匹買い求めた後、私も何か欲しくなったので別の店で青い硝子の飾りのついた荷物かけと、赤いハートのブレスレットを購入した。

1つはお土産として、もう一つは自分用にと鞄にしまい込みちょうどやって来たヴァポレットに乗った。

まだ真っ直ぐ宿に帰るには少々早い時間だったので、私と夫は来るときに見かけてから気になっていた、墓場島で降りてみることに決めた。


ムラーノ島から墓場島に着き、そこで降りた乗客は私と夫の二人だけだった。

青い芝生が茂り、島の中はとても静かで赤いバラが並んで咲いていた。

写真の撮影は入口以外禁止されていたので、カメラを仕舞い込み無数に並ぶ墓標を見ながら歩いていると墓守らしき男性がやって来て「日本人か?」と訊ねて来た。

私達がそうだと答えると、彼は日本人の墓があるよと遠くの方の一角を指さして教えてくれたのだが、それらしき物を見つけることは出来なかった。

帰国後調べると、墓場島に眠っているのは緒方惟直という人だということが分かった。

緒方惟直は、緒方洪庵の息子で、ヴェネチアの女性と恋に落ち、25歳の若さで亡くなりここに埋葬されたということだった。

私達のほかには数人しかおらず、日の照りつける中ずっとロザリオを手に祈っている老婆がいた。

墓場島は入り口以外は全て撮影禁止
墓場島は入り口以外は全て撮影禁止

墓場島の船着場付近の様子中はとても静か
墓場島の船着場付近の様子中はとても静か

墓場島の薔薇
墓場島の薔薇

ここに眠っているのがどんな人々だったのかと思いを馳せながら墓場島を後にし、帰りのヴァポレットから、棺を運ぶ船とすれ違った。

木に金属製の十字の付けられた棺で、尼僧と遺族なのか、喪服の男性が二人乗り合わせていた。

あの棺に納められている人は、どんな一生を送ったのだろうと思ううちに船は本島に着いてしまった。

ヴァポレットで本島に戻った頃には丁度夕食時だったので、路地にある店にふらりと入り定番というか、イタリアらしいものをガツンと食べてやろうということで真ん丸のモッツアレラチーズとトマトとラザニアを頼んだ。

このチーズが瑞々しくとてもぷりぷりとしていて、最初見た時はこんな大きな丸いチーズ食べられないと思っていたが、途中でもう一皿頼みたいなと思ってしまうほどだった。

ラザニアも、何が違うのかミートソースとチーズという中身は極めてシンプルなものなにに、あっという間に夢中で平らげて仕舞うほど美味しかった。

血のように紅いワインを飲み、ホテルに戻ると今日見たことをメモして眠りに就いた。

夢の中で、私はゆっくりと水中に沈む島々と硝子の化石となった墓標を見て、はっと気が付くと朝になっていた。

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