ホーム 『教科書に載らない古代史』関裕二
第12回 人物編:「皇帝になろうとした生臭坊主・道鏡の最期」 Page 2

第12回 人物編:
「皇帝になろうとした生臭坊主・道鏡の最期」

道鏡を天皇に仕立てあげようとした宇佐八幡託宣事件

道鏡が「大悪人」と信じられているひとつの理由に、「醜聞しゅうもん」がある。のちの時代に、話に尾鰭おひれがついて、独身女帝と生臭坊主の房事に、関心が集まってしまったのである。

たとえば九世紀前半の仏教説話集『日本にほん霊異記りょういき』には、光明こうみょう皇太后こうたいごうの時代、次のような趣旨の歌が流行ったという。「法師が袈裟けさを着ているからといって、侮ってはならない」これは、こののちに起きる出来事の前兆だったといい、道鏡は称徳天皇と同衾どうきんし、色仕掛けで権力を握ったのだと記される。

次第に噂話がどんどん過激になって、「道鏡巨根伝説」が語られるようになったが、その逆もある。

鎌倉時代の『古事談こじだん』には、次のような記事が載る。

称徳天皇は道鏡の「陰」では物足りなくなり、山芋やまいもで代用したが、中で折れてしまい、取れずに腫れ上がってしまった(なんという話だ)。そこで小さな手をした尼が手に油を塗って取り出そうとした。これをみた藤原ふじわらの百川ももかわは、「霊狐れいこなり(化け狐)」といって、尼を斬り殺した。称徳天皇もしばらくして亡くなったという。

ただし、これらの話は、真実の歴史と混同することはできない。

それよりも大切なことは、道鏡は本気で皇位を狙っていたらしいことだ。神護じんご景雲けいうん三年(七六九)に起きた、宇佐うさ八幡はちまん神託事件しんたくじけんである。

道鏡の野望に称徳天皇がからんでいたことは、これよりも四年前の次の宣命からも明らかだ。

「皇太子の地位は、人があれこれ決めるものでなく、天地(神)が授けてくれるものだ。いまだに明らかな祥瑞しょうずいが無いのだから、今決めることはできない」

そして四年後、称徳天皇が望んでいた神の祥瑞が、もたらされたのだ。道鏡の薨伝こうでんにあったように、宇佐八幡神(大分県宇佐市の宇佐神宮の祭神)が、「道鏡をして皇位に即かしめば、天下太平ならむ」と告げたといい、都に報告されたのである。

称徳天皇が望んでいた神の祥瑞がもたらされた宇佐八幡神社(大分県宇佐市)

道鏡の陰謀を阻止した和気清麻呂

すると称徳天皇も、「そういえば、私も夢で見た」といいだした。

「昨夜、八幡神の使いが神託を授けるから、人を差し向けるように」

と命令されたというのである。

称徳天皇は和気わけの清麻呂きよまろを宇佐に派遣した。ところが、清麻呂は次のような神託を持ち帰ってきた。

道鏡の陰謀を阻止した和気清麻呂像(東京都千代田区)

道鏡の陰謀を阻止した和気清麻呂像(東京都千代田区)

「わが国始まって以来、君と臣の秩序は整っていた。臣が君に入れ替わることは、これまで無かったではないか。日嗣ひつぎはかならず天皇家の血筋から選ばねばならない。だから、すみやかに道鏡を排除しなさい」

称徳天皇は激怒し、和気清麻呂の位階と勲位を剥奪はくだつし、大隅おおすみに流してしまったのである。

いったい、称徳天皇は、何を考えていたのだろう。どこの馬の骨ともしれぬ道鏡を、なぜ天皇に立てようと考えたのだろう。ヒントを握るのは、称徳天皇自身の境遇ではなかろうか。

称徳天皇のご乱心は恵美押勝の専横に対する反動?

前のページ

次のページ

「教科書に載らない古代史」関裕二
第12回 人物編:「皇帝になろうとした生臭坊主・道鏡の最期」

目次  1   2  3   4