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第12回 出来事編:「呪われた平安京遷都の知られざる理由」 Page 5

第12回 出来事編:
「呪われた平安京遷都の知られざる理由」

呪われた長岡京から遷都した平安京も呪われた

こうして桓武天皇は、都・長岡京を棄て、平安京を造営するのである。

当初桓武天皇は、長岡京から「線香臭い仏寺」を排除しようと目論んでいた。それは、奈良時代末期の「怪僧たちの暗躍」に嫌気がさしていたからだろうし、彼らのいう「仏教の腐敗」とは、ようするに「反藤原」「親蘇我」「親天武系」をいっているのであって、藤原政権にとって、頭の痛い存在だった。

ところが、井上内親王母子と早良親王の祟りが、桓武天皇の意識を変えたようだ。祟りに怯えきった桓武天皇は、あらゆる手段を用いて、調伏しようと考えただろう。そしてもちろん、仏教も、その道具のひとつとなった。

平安時代を通じて、天智系の王家と藤原氏は、政敵を次々と謀略にはめ、抹殺していった。そして、多くの恨みを買っていったのである。

応天門おうてんもんへん(八六六)では大伴氏や紀氏が没落した。その後、菅原道真すがわらのみちざね宇多うだ天皇に重用され台頭すると、藤原ふじわら時平ときひら讒訴ざんそし、大宰府だざいふ左遷させん させられた。

菅原道真は、改革事業を押し進め、あともう一歩のところまで漕ぎつけていたが、そっくりそのまま、藤原時平に手柄を横取りされ、大宰府に幽閉されてしまった。一族も流され、菅原道真は恨み、死後祟って出たのだった。

早良親王の祟りは恐れられたが、菅原道真も強烈だった。道真追い落としにかかわった人たちに、狙い澄ましたかのように、ピンポイントで復讐が行なわれ、誰もが道真の祟りに震え上がったのである。

空海くうかい安倍あべの晴明せいめいらが重用されたのは、このような祟り神を調伏ちょうぶくできる鬼のような人物たちだったからで、彼らの血脈をたどっていくと、藤原氏に敗れ去り、野に下り、山に籠もり、験力を手に入れた者どもに行き着く。

空海は佐伯氏と物部系の阿刀あと氏の血を引くが、佐伯氏は大伴氏や東北蝦夷えぞと縁の深い枝族で、物部氏同様、藤原氏に恨みを抱き続けた人々だった。彼らは山に隠れ、鬼となり、験力を身に付けて現れ、「何でも調伏してみせましょう」と都の貴族たちに近づいていったのだった。

祟り神を追い返すことができるのは、山から現れた恐ろしい鬼であり、だからこそ権力者は、かつての仇敵の末裔を頼り、鬼どもは、社会を裏側から操る闇の力となって、日本社会を動かし続けたのである。

平安京遷都の裏側には、このような勝者と敗者のそれぞれの思惑が隠されていたのである。

第12回 人物編「皇帝になろうとした生臭坊主・道鏡の最期」
『続日本紀』が記録する道鏡の専横

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