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第12回 出来事編:「呪われた平安京遷都の知られざる理由」 Page 1

第12回 出来事編:
「呪われた平安京遷都の知られざる理由」

棄てられた天武の王統

平安京遷都といえば、腐敗した奈良の仏教界から逃げ出し、交通の便の良い場所に移って新しい体制を築いた画期的な出来事と信じられている。桓武かんむ天皇も、遷都を敢行した名君として歴史に名を刻んだのである。

しかし、平安京遷都には秘密が隠されている。これまで軽視されてきた闇だ。

そこで、平安京遷都にいたる道のりを、ふり返ってみよう。

称徳しょうとく天皇が崩御されて、道鏡どうきょう下野国しもつけのくにに追いやられた。これで平和が訪れたかと思いきや、大問題が持ち上がった。それは、称徳天皇が独身女帝だったことから、皇位継承問題が浮上したのである。

ここで、天武系を推す吉備真備きびのまきびと、天智系を推す藤原百川ふじはらのももかわが、暗闘をくり広げる。

皇位継承問題で天武系を推した吉備真備(左)と天智系を推した藤原百川(右)

皇位継承問題で天武系を推した吉備真備(左)と天智系を推した藤原百川(右)

日本書紀にほんしょき』に従えば、天智てんじ天皇と天武てんむ天皇は実の兄弟だから、天武の王家が途絶えて天智系の天皇が新たに立ったとしても、大きな問題はなかったと思われるかもしれない。しかし、この入れ替わりこそ、歴史の断層と言っても過言ではなかったのだ。

連載中述べてきたように、そもそも天智と天武は、仲の悪い兄弟だった。藤原氏が推す天智、藤原氏に疎まれた天武……。蘇我氏が推す天武、蘇我氏を倒した天智というように、両者は水と油なのだ。

壬申じんしんらん(六七二)で大海人おおあまの皇子みこ(天武天皇)は甥の大友おおともの皇子みこを殺して玉座を手に入れた。天智天皇の王統は、ここで途切れるが、天武天皇崩御ののち、皇后の野讃良(持統じとう天皇)が皇位を「簒奪さんだつ」し、混乱が生まれる。

持統天皇は天智天皇の娘で、表向き持統は、天武の末裔を即位させるための中継ぎとして即位したが、持統を支えた藤原ふじわら不比等ふひとは、密かに「持統天皇から始まる天智系の王家の創立」を目論んでいた。そして、この新たな王家は、藤原不比等の孫のおびとの皇子みこ聖武しょうむ天皇)が即位することによって、完成するはずであった。ところが聖武天皇は、「天武の子」であることに目覚め、藤原ふじわら仲麻呂なかまろ恵美押勝えみのおしかつ)と政争をくり広げてしまう。また、聖武の娘の称徳天皇は、恵美押勝を誅伐ちゅうばつし、道鏡を皇位に就けようとした。これは、藤原氏にとって悪夢のような出来事だったのだ。

称徳天皇崩御ののち、藤原百川は、天智天皇の孫の白壁王しらかべおうを推した。すでに齢六十を超えていたが、危険を感じ、「酔いどれ」を装っていた人物だ。この人物こそ、桓武天皇の父・光仁こうにん天皇である。

結局、吉備真備は孤軍奮闘するも、藤原氏に囲まれ、政争に敗れ、「長生ちょうせいへい、このはじにあう」と述べ、朝堂から去っていった。こうして宝亀ほうき元年(七七〇)、光仁天皇は即位する。

なぜ平城京も棄てられたのか

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