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第11回 人物編:「庶民の味方、乞食坊主の行基と招かざる高僧、鑑真」 Page 2

第11回 人物編:
「庶民の味方、乞食坊主の行基と招かざる高僧、鑑真」

師・道昭の影響を強く受けた行基

行基は天智てんじ七年(六六八)、河内国かわちのくに(大阪府。のちに和泉国)大鳥おおとりのこおり(堺市、高石市)で生まれた。父は高志こしの才智さいち、母は蜂田はちたの古爾比売こにひめで、高志こし氏は百済系くだらけい渡来人とらいじんふみふみ枝族しぞくであった。

天武十一年(六八二)、十五歳で出家した行基は、飛鳥あすか法興寺ほうこうじ道昭どうしょう(六二九~七〇〇)のもとで修行した。

一般にはあまり知られていないが、この道昭も、偉大な僧のひとりといっていい。俗姓は船連ふねのむらじで、河内国丹比郡たじひこおりで生まれた。白雉はくち四年(六五三)に入唐し、玄奘げんじょう三蔵さんぞうの元で法相教学を学んだ。特別に可愛がられ、同室で暮らしたという。

斉明さいめい七年(六六一)に帰朝するが、このとき玄奘三蔵から、舎利しゃり経論きょうろんを授かった。法興寺の東南の隅に禅院を建て、禅を広めた。また、各地に出向き、社会事業を行い、民の幸せを願った。橋を架け、道を整備し、道端に井戸を掘ったという。宇治川に架かる橋は、道昭が造ったとされている(現存せず)。日本で最初に火葬された人物でもある。

行基の生涯も、道昭の影響を強く受けたものだ。生家を寺にした行基は、道昭と同じように、近畿地方を中心に社会事業を展開したのだった。天平十三年(七四一)までに、池や堀、道、港を整備した。また、布施屋ふせやを作り、調庸ちょうようを運搬する人たちや役民えきみんの便宜を図った。

庶民の寄進を得て、多くの寺を建て、多くの民に仏の道を説いたのだった。このため、行基の元に、多くの信者が集まった。

朝廷に危険視された行基を抜擢した聖武天皇

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