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第10回 出来事編:「藤原系女人の乱――県犬養三千代と光明子」 Page 1

第10回 出来事編:
「藤原系女人の乱――県犬養三千代と光明子」

藤原四兄弟の滅亡後に豹変した聖武天皇

聖武天皇は、藤原四兄弟の滅亡後、豹変した。「藤原の子」から「天武の子」に入れ替わり、藤原氏と対峙していくのである。

それにしても謎めくのは、聖武しょうむ天皇の身の回りを藤原系の女人が固めていたのに、なぜ聖武天皇の暴走(藤原氏側から見れば)を止められなかったのか、ということである。

そこで光明子こうみょうしの行動を見つめ直すと、興味深い事実に気付かされる。聖武天皇を天武の子にすり替えたのは、この女人だったのではないかと思えてくるのである。

聖武天皇が豹変したきっかけは、藤原四兄弟全滅後、母・宮子みやこと再会したことではなかったか。

藤原家と天皇家の家計図

藤原家と天皇家の家計図

しょく日本紀にほんぎ天平てんぴょう九年(七三七)十二月二十七日の条には、奇妙な記事が載っている。

「この日、皇太夫人こうたいぶにん藤原氏(聖武天皇の母・宮子)は、皇后宮こうごうごう藤原不比等ふじわらのふひとの邸宅跡で光明子の館)で僧正玄昉そうじょうげんほうと会った。天皇もまた、皇后宮におもむいた」

問題はこのつづきだ。

「宮子は聖武天皇が産まれてから幽憂ゆうゆうに沈み、久しく普通の言動ができなかったので、親子は会っていなかった。ところが玄昉が看病すると、慧然けいぜん悔悟かいごした。そして、たまたま訪れていた聖武天皇と再会した」

精神を患っていた宮子を玄昉が看病してみると、一瞬で快癒かいゆしたということになる。そして、三十数年ぶりに、親子は再会したのだ。

しかしこの話には、裏がありそうだ。だいたい、精神を病んでいた人間が、たいした治療もしないのに、瞬間に治癒するなどということがあるだろうか。もともと宮子は正常で、聖武天皇から引き離されていただけの話ではなかったか。

宮子の体の中には葛城かつらぎ賀茂かも氏の血が流れている。賀茂氏は出雲神いずもしん末裔まつえいで、ヤマトの由緒正しき豪族であった。また葛城という地域には土蜘蛛まつちぐもが住むと恐れられ、役小角えんのおづぬ役行者えんのぎょうじゃ)を輩出はいしゅつするなど、朝廷にとって厄介な反骨の土地柄であった。

宮子の産んだ御子みこ首皇子おびとのみこ。のちの聖武天皇)を即位させれば、藤原氏は念願の「王家の外戚」になれる。いわば首皇子は藤原氏にとって宝物だ。もし仮に、首皇子に宮子が余計なことを吹き込もうなら、計画は台無しである。

藤原氏は権力を握るために、蘇我そが本宗家ぼんそうけを滅亡に追い込み、日本を無謀な百済くだら救援に向かわせた。当時の人たちが藤原氏を熱狂的に支持していたかというと、むしろ逆で、反藤原派は自然に発生し、藤原氏が彼らを力や陰謀でモグラ叩きのように順々に潰していったといった方が正確なのだ。そうであるからこそ、出雲の流れを汲む宮子に首皇子を育てさせることはできなかったのだろう。だから、藤原不比等は娘を「病人」に仕立て上げ、館に幽閉したのだろう。

二つの顔を持ち合わせた光明子

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