ホーム 『コトバの家』ねじめ正一 第一回 定住の人・高島茂と、漂流の人・高橋鏡太郎 Page 9

そういう山岸外史さんにみんなが怯む中で、やっぱり高島茂さんだけが泣きながら、山岸外史さんを棺からひっぱり出したという。考えてみれば、『俳人風狂列伝』の著者石川桂郎さんも私の父も鏡太郎の葬式には間に合わなかったところをみると、二人とも高島茂さんや山岸外史さんと比べて、強烈な無頼さと強靭なやさしさが足りなかったのかもしれない。

今の私は鏡太郎さんや山岸外史さんのような無頼派への憧れがまだあるが、高島茂さんのような真っ直ぐに情の深い人に年々憧れが強くなってきている。私が66歳という年齢になったせいかもしれない。

私の父は平成十年に亡くなり、その翌年に父にケーキをぶつけられた高島茂さんが亡くなった。

高島さんも俳人として素晴らしい句をたくさん残している。鏡太郎さんが市谷の崖から落ちたときにギターを持っていたという。その遺品のギターの句が高島茂句集『冬日』の中にある。

梅雨灯る遺品のギター毀れおり

最後に高橋鏡太郎さんの詩を紹介することにする。

いいなあ 雑草あらくさ

ああやって 風にそよいでゐる

おれも もういちど

ああやって 生きてきたい

ああ 風に吹かれて

 (詩篇「もういちど」)

この詩を読んでいると説明の余地がないのだが、「生きてきたい」という言葉が鏡太郎さんらしい。「生きていたい」ではなく、「生きてきたい」なのである。生きてきたかったのである。鏡太郎さんの詩にもう一度生き直してみたいという欲求を感じるのは私だけであろうか。

久しぶりに訪れた「ボルガ」の前に立つ著者。
久しぶりに訪れた「ボルガ」の前に立つ著者。

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「コトバの家」ねじめ正一
第一回 定住の人・高島茂と、漂流の人・高橋鏡太郎

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