ホーム 『コトバの家』ねじめ正一 第一回 定住の人・高島茂と、漂流の人・高橋鏡太郎 Page 2

鏡太郎さんは昭和37年、酒に酔って市谷の崖から落ちて亡くなった。49歳であった。鏡太郎さんは素晴らしい俳句を詠む俳人で、仲間内ではみな鏡太郎さんの才能を認めていた。

鏡太郎さんを見たいがために「ボルガ」に通ってくる俳人もいた。いやいや、俳人だけでなく、学生もサラリーマンもいた。日本酒をコップに注いで小皿にこぼれた酒を鏡太郎さんに飲ませるわけである。その小皿にこぼれた酒を飲むときの鏡太郎さんの「軽妙なしぐさ」をみんな見たかったのである、

父の影響で小さなころからヘンな酔っぱらいを見てきたが、鏡太郎さんは酔っぱらいナンバー1であった。私の家にもよく遊びにきていたが、朝でも昼間でも酔っぱらっていた。酔っぱらった上に酒を呑みたがっていた。

昭和30年代、当時私の家は乾物屋であった。父の留守に鏡太郎さんがやってくる。母がお茶を出すと、「奥さん、これ違いますよ。こっちのほうのお茶ですよ」と、ぐい?みを持った手つきをして母に酒を催促した。

父も鏡太郎さんと付き合い始めたころは尊敬していた。リルケの研究家でもあり、俳句も父のような生活俳句ではなく、無頼俳句の匂いがした。父の周囲の俳人の中では鏡太郎さんは別格であった。

鏡太郎さんはいつも腐ったヨーグルトみたいなニオイがした。風呂に入らないから、汗と垢が発酵してそういうニオイになるのだ。母はそれを嫌がった。うちは食べ物を扱う商売なのに、あんなニオイがきたら、お客が寄りつかなくなる、というのだ。

だが、ある日から、父の中で鏡太郎さんは天下の無頼俳人から単なる酔っぱらいになった。以来、父は鏡太郎さんが家を訪ねてきても、居留守をつかうようになった。酒を呑んで付き合うのが面倒くさくなったのだ。

だから、ときには父親の代わりに小学生の私が鏡太郎さんの応対をしなければならなかった。当時、私の家の中庭でクロという犬を飼っていた。商売が忙しくて誰も散歩につれていかないせいもあって、欲求不満がたまっているのか、何も知らずに中庭に入ってくる人にクロが噛みついて、父が菓子折りと治療費を持って謝りにいくことが度々あった。

ところが、鏡太郎さんは狂暴なクロのいる中庭に平気で入ってきて、クロに呼びかけて

犬小屋から出てくるのを待っていた。クロが犬小屋から出てくると、クロのことをまったく狂暴だと思わずに四つん這いになってクロをぺろぺろ舐め、

「ねじめさん、こんちわ。ねじめさん、いますか」と大きな声で呼ぶ。

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「コトバの家」ねじめ正一
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