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コトバの家 ねじめ正一


第一回「定住の人・高島茂と、漂流の人・高橋鏡太郎」

著者二十歳の頃。父、ねじめ正也と新宿「ボルガ」の前で。
著者二十歳の頃。父、ねじめ正也と新宿「ボルガ」の前で。


5年ぶりに新宿焼き鳥「ボルガ」にいった。入り口では父が通っていたころから焼き鳥を焼いていた年配の従業員の人が私に気づいて「久しぶりですね。もっときてくださいよ」と声をかけてきた。「ボルガ」は相変わらず繁盛している。お客が表で5人ほど待っている。そこは申し訳ない気持ちで、私よりも5歳上の「ボルガ」の主人に挨拶したくて、待っている人の横を通って主人と顔を合わす。

主人の父上の亡くなった高島茂さんには可愛がってもらった。我が家も高島家も住まいが高円寺ということもあって、父に頼まれて高島家に届け物などをした。そのときに高島茂さんからお小遣いをもらった。

年配の従業員が「マスター、ねじめさんの息子さんがいらっしゃいましたよ」と声をかけてくれる。ボルガの私は、父ねじめ正也の息子なのだ。

入り口の脇に立っていた息子さんが「ねじめさん、入って! 入って!」と言ってくれる。並んでいる人に申し訳ないが、それは父のおかげと思いながら店に入っていく。店の奥にもう一つバラック風作りの店があって、そこに通された。

今でも「ボルガ」に飾られている、高橋鏡太郎の新聞記事。
今でも「ボルガ」に飾られている、高橋鏡太郎の新聞記事。

壁を眺めると、俳人高橋鏡太郎の写真入りの、新聞の切り抜きが貼ってあった。昭和62年6月24日の『夕刊フジ』である。記事に目を通すと、「風狂詩人・高橋鏡太郎氏"酒を友とした人生"」というタイトルとともに次のような鏡太郎さんの紹介文が載っていた。「高橋鏡太郎。本名・一(はじめ)。大正2年大阪生まれ。中学時代から詩作をはじめ、リルケの詩を愛読、その後佐藤春夫に師事して同家の書生となり、雑誌に詩や俳句、エッセーなどを載せる。昭和16年、宮沢みどりと結婚、リルケ研究に着手。この間、新聞社に勤めながら句集や詩を発表。」

記事を読み終えて写真をもう一度眺めると、

「正一くん、久しぶり」と声をかけてくれているみたいであった。鏡太郎さんは昭和30年代の酒場「ボルガ」の客たちのスターであった。

明日はなきおもひのなかや日脚のぶ

        (高橋鏡太郎)

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