ホーム 『日本全国津々うりゃうりゃ〈仕事逃亡編〉』宮田珠己 第16回 宮崎1 Page 3

そんなわけで思わぬ人助けで始まった宮崎の旅だが、財布の行方についてはひとまず置き、鬼の戦闘力が弱っている間に、本来の仕事に戻って、なぜ今回宮崎にやってきたかという話に移りたい。

理由はおおまかに言ってふたつある。

ひとつは、私にとって、47都道府県のうちもっとも馴染みがない県はどこかと考えたとき、まっさきに浮かんだのが宮崎県だったことだ。最後に訪れたのは、おそらく高校陸上部の卒業旅行のときで、以来30年も足を踏み入れていない。そんな県は宮崎県だけである。だから久々に行ってみたかった。

そしてもうひとつ、こっちのほうが重要なのだが、高千穂峡のボートに乗りたい。

高千穂峡の手漕ぎボート、それは私のもう何十年も前からの懸案事項であった。

レジャー用のカヌーだのカヤックだのが普及して、今でこそ自力で川や池に浮かぶ乗り物は珍しくなくなったけれど、私が高校生だった頃は、まだそんなものはなく、水に浮かびたいと思えばボートに乗るしかなかった。そして私は水に浮かぶのが好きであった。

たぶん旅雑誌かパンフレットか何かで見たのだろう、高校生の私は高千穂峡の写真に心打たれ、いつかそこでボートに乗りたいと思うようになっていた。何しろその写真には、岩壁に滝が懸かる狭い渓谷と、その滝のもとに浮かぶ手漕ぎボートの姿が映っていたのだ。それほどまで滝に迫れる手漕ぎボートが他にあるだろうか、しかも渓谷はまるで迷宮の一部のように見え、その地形も私をワクワクさせた。

高千穂峡
高千穂峡

絶対あれに乗らねばならない。

しかし宮崎は遠い。海外旅行に行くほうが簡単なぐらいだ。そして、その宮崎の中でも高千穂はさらに遠い。

しかも、カヌーやカヤックが身近になると、それまでは行けるとも思ってなかった海や川や湖で、迷宮探検を楽しめる時代がやってきた。それにより、別に高千穂でなくてもよくなったのだ。こうして私の中での高千穂峡の優先順位は、相対的に低下し、しばらくはほとんど忘れていたほどだった。

だが、カヤックであちこちの海や川を経験した後にあらためて高千穂峡の写真を見ると、その地形のダイナミックさは、依然他の場所に劣らない味わいが感じられ、しかもそれが手漕ぎボートで誰でも行けるというのだから、私は再び気になってきた。

単にダイナミックだからというのではなく、ダイナミックだけどお手軽、チマチマしてるけどすごい地形という点で、箱庭的な情緒を感じるようになったのである。

いったいどんな感じなんだろう。やはり高千穂峡には一度行ってみるべきではないか、そう思った。

そうしてどうせ高千穂に行くならば、ついでに有名な高千穂の神楽も見てみたいし、日南海岸あたりもぶらついてみたいということで、このたび満を持して宮崎にやってきたのであった。

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第16回 宮崎1

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