ホーム 『微笑がえし』石黒謙吾 シーン1 食堂の出会い Page 1

微笑がえし
石黒謙吾

シーン1 食堂の出会い

繁華街からはずれた町にある飾り気のない食堂は、昼休みの混雑で話し声が錯綜している。部屋の隅にある白黒テレビに映し出されているのは、東海道新幹線工事の様子。ラジオからは、双子の歌手、ザ・ピーナッツのハーモニーが流れている。12時のチャイムと共にバスの整備士が油で汚れたつなぎのままなだれ込み、調理場の受け渡し場所に列を作っていた。三角頭巾をかぶったおばちゃんが荒っぽくアルマイトの器を差し出す。フライ定食、カレー、うどん、ラーメン。受け取った者から6人掛けのテーブルで相席。様々な食材の匂いがこもる店内にはむさくるしい男たちがほとんどだが、ぽつりぽつりと小綺麗なバスガイドの制服を着た女の姿が。それは沼地に咲く花のようなアクセントとなっている。

観光バスの乗務がない日、ガイドたちはバス会社横で昼食を取るのが常だ。恵美子は一人、店の奥のテーブルに座りカレイの煮付定食を食べていた。なんとなく人目が気になるのは、新しく支給された紺の制服が、小柄な自分にはサイズが大きすぎるのが気になっているから。

「ここ、空いとっけ?」

軽い調子の声が聞こえ、恵美子が箸を動かす手を止めた。顔を上げると、ニヤけた男が立っている。ジャンパーを着たひょろりと背の高い男。答えを待たずに横の席に座り、きつねうどんが乗ったプラスチックのお盆をテーブルに置くと、恵美子のお盆に当たった。山奥の中学を出てまだ3年目。まだ、仕事以外で初対面の人と話すのは手探り状態の恵美子は、どうしたらいいかわからぬまま黙っている。

「新人?」

「そう……、です」

「そやと思たわ。見ん顔やしい。俺、そこにできた自動車教習所で運転教えとれん。この前までタクシーの運転手やったんや。その前は自衛隊。最初は警察予備隊って言っとったんやぞ。そこでいろんな免許取ったんや。そんで、教えとるんや。あ、このうどんうまくないわあ。俺もカレイにすりゃよかったなあ。そうそう、どこに住んどらん?」

うどんをすすり、その麺のようにつるつると言葉が滑り出る男は、自分のことを話しまくり、時折恵美子の素性を聞いてきた。住んでいるところ、育ったところ、ガイドの仕事のこと。恵美子はわずかに返答しているだけだが、そんな反応などおかまいなし、珍しいものを見るような周りの視線も気にせず、終始、笑っている。

箸で骨を丁寧によけながらカレイを食べ終るまでは20分ぐらいだったろうか。男は実に楽しそうだった。最初は警戒していた恵美子だったが、北陸人の印象とかけ離れた陽気さと他意のない笑顔に、心の窓を少し開けた。店内に1時のベルが響く。

「あ、名前聞いとらんかったね」

「喜多です」

「下は?」

「恵美子」

「エミちゃんか。俺、西村っていうげん。西村稔や。ほんならまたここでな」

立ち上がってカウンターに向かった後ろ姿を目で追う。彼は食器を戻して出口を通る時、振り返りざまに軽く手を上げると、パチッとウィンクして外に消えた。恵美子は呆気に取られてゆっくりまばたきした。ウィンクなんて映画の中のもの。こんな金沢の郊外で、しかもそれが自分に向けられるという現実離れしたできごとに身体がふわっと浮きあがる感覚が。顔が赤みを帯びたことを悟られないように慌てて下を向く。

なんやら調子いいへんな人やわあ。ひとりでしゃべって。西村、稔、って言うたかね。絶対へんやわ……。

前のページ

次のページ

「微笑がえし」石黒謙吾
シーン1 食堂の出会い

目次  1  2   3   4