ホーム 『微笑がえし』石黒謙吾 プロローグ 一本の電話 Page 4

階段を軋ませながら昇ると石油を燃やす匂いを吸い込んだ。ふすまを開けると階段の寒さに向かって暖かい空気が攻め込んでくる。半袖で過ごせそうな部屋の中に、そこらじゅうに焦げたあとがついた四角い石油ストーブ。その中心では半球状の網が濃い朱色となり炎が溢れていた。

少年は、部屋の壁に沿って置かれたベッドにヘッドスライディングのように頭から飛び込んだ。「ふーっ」と意識せずため息が漏れたが、特に疲れていたわけでもない。父の理不尽な怒りと変な電話というダブルパンチで積もったいやな気分を、早く吹き飛ばしたかったからだ。

部屋の奥には古いステレオ。オッサンが若い頃買った品は横長の木製キャビネット。その横にオレンジ色のカラーボックスがあり、数枚のシングルレコードが立ててある。慎吾は端にある1枚を抜き出した。カバーを外し紙ジャケットから慎重に取り出した黒い盤面。手をかすかに動かすと蛍光灯の白い光りが無数の筋と化して一斉にくるりと回った。

居間に音が漏れないようにヘッドフォンをしてから、ドーナツ盤をターンテーブルに乗せる。トーンアームを右手でゆっくりと動かす。そして慎重に、パイロットのように針を溝の上に着陸させる。

チリ……チリ……チリチリ。溝の痛みだろう。このレコードの雑音が日に日に激しくなっている。それほど聴き込んでいた。前年の9月に買ってから5ヶ月間で500回以上はかけている。レコードはかけ続けると、曲が始まる前の溝ですでに出だしの音が小さく聴こえることを初めて知った。今もまさに、低音のギターで入る前奏がかすかに聴こえてくるところ。

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「微笑がえし」石黒謙吾
プロローグ 一本の電話

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