ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第三回 『「ごっこ」の世界に生きる母と娘』 Page 4

二人は黙契を結び、いつか必ず「パパ」が戻って来る事、パパはとびきり素敵な男性で、母と娘を必ずや夢中にさせるであろう事を、自らめしいた者のように信じこんでいる。あるいは、信じている「ふり」をし、その「ふり」を自らの率直、正確な認識と引き替えようとしているのだ。

長い長い「かくれんぼ」のような暮らしは、本来の生活を「ごっこ」に引き替える事でしか成立しえない。

葉子は、その事態、余りにひきのばされた「ごっこ」の暦とその長さを正確に認識しており、その時間の堆積が、草子に何をもたらしてしまったのか、という事を誤る事なく積算している。

自分が乗ったボート、そのボートのクルーとして育ち、生きざるを得なかった娘が、どれだけの負荷を強いられてきたのか……

私は、私の知らない草子の生活を思った。意志の有無にかかわらず、何度もすべてを新しくさせられている草子の生活を。

――頼もしいのね。

草子は、べつにそんなでもないけど、と不機嫌にこたえてポットの蓋をあけた。

――要領がいいのかもね。

と言う。私は、私の子供のころのことを思いだしてしまった。

――あなたは要領が悪すぎるわ。

母によくそう言われた。私には、要領というのが何のことだかさっぱりわからなかった。

それだけの負荷を娘に強いながら、何故葉子は「ごっこ」を続けなければならなかったのか――。

それは、葉子の人生における「あのひと」との出会いの重さによっている。

葉子は、父親に、将来何になりたい、と尋ねられて、「トッポジージョ」と答えるような娘だった。

――葉子ちゃんは方向オンチだからな。

あのひとはいつかやさしい目で言った。

――ずいぶん遠くまでいってたんだね。

私は泣きたかった。いっぺんに気持ちがあふれてどうしようもなかった。ずっと一人だった。トッポジージョにはなれなかった。自分を不幸だと思ったことはなかったが、でも、つまらなかった。生きていてもよくわからなかった。どうすればいいのか、どうしてもっと生きなくちゃいけないのか。あのひとに会うまでは。

どうしてもっと生きなくちゃいけないのかわからない葉子のあてどなさを、繕い、満たしてくれたのが、「あのひと」だったのだ。

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