ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第三回 『「ごっこ」の世界に生きる母と娘』 Page 1

江國香織を読む
福田和也


著者自ら「狂気の物語」だという『神様のボート』。
1999年、新潮社刊。

写真/福田和也

第三回「ごっこ」の世界に生きる母と娘

箱のなか、は、ママとあたしだけに通じる言い方で、もうすぎたこと、という意味だ。どんないいことも、たのしいことも、すぎてしまえばかえってこない。

――でもそれはかなしいことじゃないわ。

ママは派手な花柄のスカートをはいていた。

――すぎたことは絶対変わらないもの。

「箱のなか」、という言い回し。

それは英語の“passed away”と云う言い回しに似ていないこともない。

けれども、この箱の中に湛えられている空しさは、故人への追想といった、ある温度、湿度、悲哀を一切含んでいない。

それは終わったのだ。

終わった事は、変わらない、変わりようがない、変わるわけがない。

それは断言であり、断言以上の何物かでもあるのだ。

とはいえ、この「断言」を可能にするためには、その濫用について気がとがめようもない決別と潔癖を可能にするためには、一体、どのような賭け金が必要だったのだろうか。

中庸も均衡も無視した、ある、一つの強ばり。

カラフルな花柄の長いスカートをまとった、検断家は、果たして、本当に己の強さを信じているのだろうか。

いないからこそ、彼女は全てを拒み、切り刻み、忘れてしまうのではないか。

とはいいながら、あらゆる事柄を「箱」に入れてしまう母親が、けして「箱」に入れない、入れる事を拒まねばならない物がある。

「パパ」……

その「不在」によって母と娘の黙契を維持し、生活に彩りを与えつづける存在としての「パパ」。

「神様のボート」と呼ばれる母娘の奇態な生活は、彼の「約束」――実際にそのような約束があったのか、それ以上にそんな男がいたのかも分明ではないのだが――によって規定されている、という事になっている。

1991年に刊行された『きらきらひかる』。アルコール依存症の妻と同姓愛者の夫、そして夫の恋人とをめぐる奇妙な三角関係を描いた小説。 Highslide JS

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