ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第二回 『女流作家の宿命』 Page 5

たしかに、人工授精は、性交を経由せずに、子孫を得る事を許すかもしれない。

けれども、それは二人の「愛のかたち」を根底から崩してしまうだろう。

というのも、打算を基盤とした関係と表裏になっている、打算を主体にしているがゆえにこその純粋な情愛を決定的に損なってしまうだろう。

登場人物たちのなかで、もっとも成熟した存在である、睦月の父は、その斜交いの難しさにもっとも行き届いた理解を保持しているように見える。

不意に息子を訪れた父は、「ここは病院みたいだな」と、感想を述べる。「がらんとして清潔で、まぁ近代的なのかもしれんが」

この感想は、睦月と笑子の関係の人工的かつ抽象的な側面を、実に的確かつ残酷に射貫くものにほかならない。

僕は空間をうめるためにひたすらしゃべりまくった。

「父さん、銀のライオンって知ってる。色素の弱いライオンなんだけど銀色でね、みんなと違うから仲間からはみだしちゃうんだ。それで、遠くで自分たちだけの共同体をつくって生活してるんだって。笑子が教えてくれたんだ。笑子はね、僕や紺を、その銀のライオンみたいだって言うんだよ。そのライオンたちは草食で、身体が弱くて早死になんだって。早死にのライオンなんて、まったくユニークだよね、笑子の発想は」

僕は笑った。笑いながら、泥沼だ、と思った。おふくろにあれこれ強迫される方がずっとましだ。

親父は笑わなかった。

「お前たちのことはよくわからんが」

ばかみたいに喋り続ける息子をじっとみてからコーヒーに口をつけ、

「でも、私には笑子さんも銀のライオンにみえるよ」

と言って、またひっそり笑った。

煩く世話を焼き、なんとか睦月と笑子を世間並みの存在――人工授精の活用――に仕立てあげようとする熱意が、必ずしも息子夫婦の幸福をおもっての行動ではないとしても、世俗的な「善意」を内包している事は、顕らかだ。

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「江國香織を読む」福田和也
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