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けれども、その執拗さの本体は、お互いの都合、利害の背後にある、綿々とした感情のしたたりがあり、そのしたたりは、如何に小さいと云っても、二人の心と絆に、長く尾をひく振動を纏綿てんめんさせずにはいないのだ。

その振動の纏綿が昂進すると、昂進を逃れるためにこそ、あからさまな、意図的に配慮を欠いてみせる遣り取りを、導入せざるをえなくなっていく。

「紺くんが睦月の赤ちゃんうめるといいのに」

あまりのセリフに、僕は絶句した。そしてすぐ、おふくろの電話の内容に見当がついた。

「おふくろの言ったことは気にしなくていいんだ」

笑子の表情が、みるみるはりつめてゆく。

「このあいだ、瑞穂も子供つくりなさいって言ったわ。それが自然よって。たこ医者もそう言った。でも、結婚するときだってそう言ったのよ。みんな変だわ」

どうしてみんな、赤ちゃん赤ちゃんって言うのかしら。

予想に反し、笑子は泣かなかった。

「私はこのまんまでいたいの」

このままでいられるよ、と僕は言った。でもきのう、お母さんがそれはわがままだって言ったわ。そんなんじゃ睦月に申し訳ないって。睦月の御両親にだって申し訳ないって。

「そんなことないよ」

と言ってみたけれど、笑子はもうきいていなかった。

「それでお母さんとけんかして、泊るのをやめて帰ってきたら、九時頃あっちのお義母さんから電話があったわ。人工授精のこと、柿井さんに相談してみたらって」

笑子は困惑しきった顔で、ほんとにみんなどうかしている、と言った。

「どうしてこのままじゃいけないかしら。このままでこんなに自然なのに」

このままでこんなに自然なのに。自然という言葉の定義はともかくとして、堂々とそう言った笑子に、僕は胸が一杯になってしまった。

笑子は食べおわった食器をかさね、昼寝してくるわ、と言って立ちあがった。睦月も寝るんなら、シーツにアイロンをかけておくけど。

「そうだね。一緒に昼寝しようか」

僕は食器を流しに運ぶ。

「でもアイロンはいいよ。もう暑いからね」

シーツにアイロンをかけるのは、冬の間の習慣なのだ。返事がなかったので僕は水道をとめ、アイロンはいらないよ、と大きな声で念をおした。やっぱり返事がない。ふりむくと、笑子は台所のすみに立っていた。

「なんだ、そこにいたの」

「アイロンをかけるのは私の仕事だって言ったじゃない」

せっぱつまった顔つきで笑子は言う。

「暑いなら、さめるまで待ってから寝ればいいじゃない」

ぴんとしたシーツ、好きでしょう?

「……うん。そうだね」

僕はうなずいた。あんまり必死の顔なので、うなずく以外にどうしようもなかったのだ。

人工授精という、一つの、テクノロジーがもたらす、小さな危機。

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