ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第二回 『女流作家の宿命』 Page 1

江國香織を読む
福田和也


1991年に刊行された『きらきらひかる』。
アルコール依存症の妻と同姓愛者の夫、
そして夫の恋人とをめぐる奇妙な三角関係を描いた小説。

写真/福田和也

第二回「女流作家の宿命」

『きらきらひかる』新潮文庫版の解説で、今江祥智いまえよしともは江國香織についてのエピソードを紹介している。

「江國さんが都内某所でバイトをしていたころ 、書類をファクシミリで送るように言われ、持っていったまま戻ってこない。行ってみるとファクシミリの前で立往生していて、『いくらボタンを押してもこの書類、ここに残っているんです……』と、首をかしげていたよし。相手は同じコピーを山ほど送りつけられていたのである。」

この類いの伝説は、私も聞いた事がある。江國さんが、児童書店でアルバイトをしていた時、レジを任されたのが嬉しくて、売り上げとは関係なく、どんどんレジを叩いてしまった、とか。

こうした挿話を記したのは、『きらきらひかる』の笑子しょうこの相貌が、多少とも作家自身と重なってみえてしまうからだろう。

「雨ふりお月さん」を二番までうたってから寝室にいき、まずコンセントをさしこむ。コードが、黒と白のまだらになったやつだ。頃合いをみはからって毛布やらベッドカバーやらをめくり、じゅうぶんにあたたまったアイロンを、シーツのすみずみまですべらせる。洗濯物のしわをのばすときのように、はな歌まじりにはしない。手早さがポイントだ。集中して、真剣にやる。これは、睦月が私に要求した唯一の家事なのだ。

できあがったベッドに毛布で素早くふたをして、私はコンセントをぬいた。

「どうぞーっ」

私たちは十日前に結婚した。しかし、私たちの結婚について説明するのは、おそろしくやっかいである。

「ありがとう」

睦月はいつもの笑顔でそう言うと、あたたかいベッドにもぐりこんだ。

アルバイト程度だが、私はイタリア語の翻訳をしている。この一週間ずっとぐずぐずやっていたインタビュー記事を、きょうこそまとめてしまわなくてはならなかったので、電気を消して寝室のドアをしめ、机の前にすわって、グラスにウイスキーをたらたらと注ぎたした。この、とろっと、深い金色をみると私はうっとりしてしまう。

アルコール中毒? とりこし苦労ですよ。医者はそう言って笑った。肝臓も胃腸も健康だ。だいいち、一日二杯か三杯なんでしょう? でも断てないんです、と言ったら、気分的なものですよ、と肩をたたかれた。キリストも言ってるでしょう、健康のために少しのワインを飲みなさいって。ビタミン剤をあげましょう。まあ、くよくよ気に病まないことです。

「笑子」という名前から、想起してしまうのは柳家小三治やなぎやこさんじ師匠の枕噺集『もひとつ ま・く・ら』に収録されている、笑子えみこの墓」という一編。

1991年に刊行された『きらきらひかる』。アルコール依存症の妻と同姓愛者の夫、そして夫の恋人とをめぐる奇妙な三角関係を描いた小説。 Highslide JS Highslide JS

目次へ

次のページ

「江國香織を読む」福田和也
第二回「女流作家の宿命」

目次  1  2   3   4   5   6