ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第一回 『父と娘』 Page 6

短いながら、よくまとまっている。とはいえ、この小品だけをとれば、きわめて卓越した作品と評価する事は出来ないだろう。だが、江國香織という作家の出発点において、父が携わってきた落語や講談といった、古典芸能の、なかんずく話芸の諸要素が、作品の骨格をなしている事は、否定できないだろう。

作品冒頭の「のう、お客人。」の一言がその事を象徴している。

昭和六十二年に、アメリカ、デラウエア大学に留学した。

アメリカ滞在中、毎日新聞「はないちもんめ」第四回〈小さな童話〉の大賞に「草之丞の話」が選ばれた。

前作と結構は似ているが、非現実の現実性ともいうべき光景を構築する手腕を身につけ、物語は格段に魅力的になっている。

「草之丞さんといってね、お父様ですよ、あなたの」

僕は、僕の心臓がこんなにじょうぶでよかったと思う。

おふくろの話はこうだった。草之丞は正真正銘のさむらいで、また正真正銘の幽霊で、おふくろに一目惚れをした。おふくろがまだ新米女優だったころ、舞台で時代劇の端役をやった。セリフはたった一言だったけれど、あの世で見物していた草之丞は、そのたった一言のセリフ、「おいたわしゅうございます」にすっかりまいってしまい、やもたてもたまらず、下界にやってきたのだ。二人はめでたく恋におち、僕が生まれたというわけだった。

「草之丞の話」(『つめたいよるに』)

「草之丞の話」は、「桃子」と同様に恋愛を触媒として、超自然的、非現実的な、つまりはシュールな寓話を紡いでみせている。恋愛が、人生における最も可憐で本質的な奇跡であるという事についての、作者の信念はすでにこの、初期の文章に現われ、後の『神様のボート』で、燦然と結晶化されている。

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「江國香織を読む」福田和也
第一回「父と娘」

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