ホーム 『江國香織を読む』福田和也 第一回 『父と娘』 Page 4

「それがね、おッかしいの」

精選落語会の矢野誠一が、股引のようなズボン、外国の囚人のような派手な竪縞スポーツシャツ、サングラスに板割草履といういでたちで、汗をふきふきやってくるなり、こういって愛嬌のある顔をほころばせた。新劇の演出部に籍をおく彼は、こんなすっとこどっこいの格好をしたかと思うと、翌日は蝶ネクタイをして胸に洒落たハンカチをのぞかせるという、よくいえば硬軟自在の、悪くいえば精神分裂的な伊達男ダンディーであるが、どの場合でも身辺に漂う雰囲気は、およそ落語とはかけはなれているその彼が、口を開けば落語、落語と、落語の話しかしないことの方が、よほどおかしいとひそかに思うのだが、夫子自身は別におッかしい ・・・・・とは思っていないらしい。

「芸の人びと」(『落語美学』)

テーマは、まったく違った文章――人物点描――であるが、やはり何ともいえない執拗さが見え隠れする。「竪縞」、「窃かに」といった文字遣いは我慢できるとしても、その姿についての形容、比喩の畳みかけ方を、鬱陶しく感じる。

とりあえず、云っておこう。

江國香織の父は、けして、偉大な書き手ではなかった。

けれども、その事は、その娘にとっても、父にとっても、けして不幸な事ではなかった。

それは、むしろ幸運な事であった、と思う。

父親参観日。

香織はきのうから「パパ、早く寝なきゃいけないわよ」などと楽しみにしていた。

教室での香織は、去年の参観日に比べて格段の進歩。なんでも手ぎわよく、しかもなかなかていねいにやるので感心した。

高橋先生が、子供たちのテープを聞かせてくれた。きのう、クラスの生徒全員が「わたしのおとうさん」という題で、一と言ずつ吹込んでおいたもの。

香織の番がきたので、興味しんしん耳を傾ける。元気よく、ハキハキとこんなことをしゃべっていた。

「(おとうさんは)江國滋です。ラクゴ(落語)に行ったり、テレビに出たりします。ごはんのとき、香織のお皿のものをとってたべます」

「香織の記録」昭和四十四年六月二十二日(『江國香織とっておき作品集』)

江國滋は、偉大な書き手ではなかったが、いい父親であった。人生において、よい書き手である事よりも、何倍も素晴らしい事だ。

Highslide JS

前のページ

次のページ

「江國香織を読む」福田和也
第一回「父と娘」

目次  1   2   3   4   5   6   7