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江國滋は、当今珍しくなった、楷書の人である。

楷書、行書、草書などという、あの楷書である。もっとも彼は、かたくるしいわけじゃない。しちめんどうくさくもない。また融通の利かない朴念仁でもない。

前述したとおり、配慮、眼くばりが(良家の育ちのわりに)細かく行きとどくし、穏和で遊び好きで、あるときには軽腰でのめったりもする。ところが同時に、なにごとにつけ、一点一画をおろそかにせず、自分の姿勢というものをいつも持っている。けっして泥臭く押しつけがましい形では表面に出さないが、どんなときにも自分の姿勢で事に当たろうとする決意が内包され、微妙な気配となってこちらに伝わってくる。そこのところが年月とともに洗練され、ユニークな肌合いになっている。

だから江國滋と会うといつも楽しい。また彼の文章を読んでも、いつも彼への信を裏切られたことがない。

「楷書の人」(『落語美学』)

色川という人が、無頼でありながら、いや無頼であるからこそ、とてつもなく柔和な、腰の低い人だった、というような印象を、何人もの物書き、編集者から聞いた。私は、物書きとしてデビューが同年配の物書き――島田雅彦しまだまさひこ山田詠美やまだえいみ佐伯一麦さえきかずみ――より遅く、そのために会いたい人と出会い損ねてしまったのだが、そのなかでも、色川武大と野口冨士男のぐちふじおに会えなかった事は残念だ。中上健次なかがみけんじなどは、どうでもいいのだけれど……。

その、きわめて行き届いた文章にたいして、江國滋本人の文章はどうだろう。

以下は、『露伴の俳話』についての書評の一節。

一九四〇年(昭和十五年)から四二年(昭和十七年)にかけて、といえば、支那事変(そう教わった)から大東亜戦争(そう教わった)に突入した悪夢の時代、さしずめ“日本大変”の時代だが、あの時期に、悠々たる余暇を過ごしていたのは幸田露伴(一八六七-一九四七)である。

一世の文豪・碩学せきがく・大通としてかくれもない国宝的存在でありながら、なおかつ、私、思うに、ほんとうの中流人士でもあった露伴が、息女の文子(作家幸田文=一九九〇年没・八十六歳)、愛孫の玉子を含む親戚のみ十二、三人の老若男女を、小石川表町の自宅(借家であった)に週一回のペースで招集して、俳句の手ほどきを兼ねた講義をする会を、まる二年にわたって開催しつづけていたのだから、実に贅沢な私的サロンである。身内だけ、というのがなんともいえない。

「大人閑居」(『書斎の寝椅子』)

厄介な文章だな、と思う。

何より、( )が煩い。年代や名前を( )に入れるのはともかく、(そう教わった)とか、(借家であった)とかが煩い。また、「国宝的存在でありながら、なおかつ、私、思うに、ほんとうの中流人士でもあった」という読点の打ち方もいやらしく感じてしまう。

その一方で、江國は、こういった文章も書いている。

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「江國香織を読む」福田和也
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