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村上春樹2011
福田和也

第三回「国境の南、太陽の西」

空中に浮かんだ人口庭園、バー空間の中で……

写真/福田和也
撮影協力/BAR TONE

『国境の南、太陽の西』の冒頭、最初の文章で語り手である「」の誕生日が示される。

僕が生まれたのは一九五一年の一月四日だ。

まず、誕生日が示される、示されなければならなかった理由は何だろう。

とりあえず、この表明は、物語が進行する時代、時期を特定する。拘束する。

ちなみに作家自身の誕生日は一九四九年一月十二日である。『国境』の語り手より二年弱早い。

」の誕生日について語り手は、「二十世紀の後半の最初の年の最初の月の最初の週」であり、そのために両親から「始(はじめ)」という名を与えられたと云う。

理屈にあっているようだが、違和感がのこってしまう。世紀のはじまりだからと「」という名前をつけるというのは了解できるけれども、半分で「」とつけるだろうか?

この名付けは、存外大きな意味を抱えているかもしれない。世紀の半ば、後半の始点に拘るだけの意味あいは何だろう。

巻頭、二つめの段落で、今一つの表明がなされている。

僕が生まれた頃には、もう戦争の余韻というようなものはほとんど残ってはいなかった。

この戦争との距離感は、いかにして醸成されたものだろうか。

実際、「生まれた頃」は、朝鮮戦争の真っ最中だった。「」の誕生日である一九五一年一月四日、には北朝鮮の南下作戦が成功し、この日、国連軍はソウルからの撤退を完了している。

一方、戦災にあった歌舞伎座 (かぶきざ)が再建され、一月三日にこけら落としが行われ、占領直後、封建的武士道を鼓舞するとして、歌舞伎を禁じたマッカーサー元帥から祝福のメッセージが贈られている。

国境の南、太陽の西

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