ホーム 『村上春樹2011』福田和也 第二回 『ノルウェイの森』 Page 7

一家で書店を切り廻していた、緑の家は、毎日の食事をコロッケなどの総菜でまかなうような塩梅であり、それが嫌で緑は独学で京料理を学んだり、ブラジャーを犠牲にして調理用具を買ったりしている。

デパートに行く事はハレであり。非日常的なイベントなのだ。

その家業からの逸脱の記憶がすりこまれているので、「とくにおいしいというものでもないし、だだっ広くて混んでてうるさいし、空気はわるい」けれども、「ときどきここに来たくなる」のだった。

片やワタナべは、子供の頃、母親にデパートに何度も連れてこられてウンザリしている。出来る事なら、二度と足を踏み入れたくない、というくらいに。

緑は、そうしたワタナべとの生活の、意識の格差を触知している。しているけれど、しているが故に、どうしてもワタナべとデパートの食堂に行かなければならないのだ。

「とくにおいしいというものでもない」からこそ。

ここで緑は自分の、どうにもならない処を見せている。切り口上で喋りながら、不安にふるえている。自分が受け入れられるかという不安(人格としだけでなく、生活意識の隔たりがもたらす)の中で。歓喜の予感に身を委ねながらも、少しでも先周りしないように、してはならないと自らに云いきかせながら戦いている。

髙島屋の場面――地下食堂から、雨の屋上へ――は、おそらく村上春樹が記した文章のなかでも、最高峰と云うべき場面だ(そして映画は、荒涼といかがわしさに支配された場所に立ち現れた揮発性の官能を見逃している)。

『時間がほしいんだ』と僕は言った。『考えたり、整理したり、判断したりする時間がほしいんだ。悪いとは思うけど、今はそうとしか言えないんだ』
『でも私のこと心から好きだし、二度と放したくないと思ってるのね?』
『もちろんそう思ってるよ』
緑は体を離し、にっこり笑って僕の顔を見た。『いいわよ、待ってあげる。あなたのことを信頼してるから』と彼女は言った。『でも私をとるときは私だけをとってね。そして私を抱くときは私のことだけを考えてね。私の言ってる意味わかる?』

日本橋、髙島屋地下二階の食堂は、今も営業している。半月の箱に入った幕の内弁当はないけれど、懐石弁当がある。四角い箱が四つに仕切られている。斜め後ろの二人の老婦人が食べていた、スパゲッティ・ナポリタンは美味しそうだったけれども。日本風にアレンジされたスパゲティとか、餡かけ焼きそばを食べるのがふさわしい店に思えた。

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地下二階から、屋上までエレベーターで上がる事が出来る。真鍮 (しんちゅう)で造られた蛇腹の扉を、エレベーター・ガールが操作してくれる。

屋上からの眺めは、あまり芳しくない。

かつては、見晴らしがよかったのだろうけど、今では高層ビル街の盆地になっている。メリルリンチや、マンダリン・オリエンタルの頂の底に。

デパートの屋上に最後に行ったのは何時だろう……

そう考えて、自分も母に引っ張り廻され、ウンザリしていた事を思いだした。

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「村上春樹2011」福田和也
第二回「ノルウェイの森」

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