ホーム 『村上春樹2011』福田和也 第二回 『ノルウェイの森』 Page 5

たしかに、このような口ぶりは、ワタナべや永沢のような男たちの、一晩の相手になってしまう、それ位が役どころの女たちと違う、より高い場所にいる女性たち――直子と緑――を特権化するための手続きではあるだろう。とはいえ、緑が寝惚け眼で下着を探し回る事が絶対にない、とは作者も読者に信じさせる事は難しいとも思うのだけれど。

そして直子。

直子は、ラブホテルのけばけばしい調度のなかに収まっている、名を持たぬ女性たちとは一線を画した存在として、扱われてはいる。

だが、その立たされている場所は厳しい。

彼女は、まず、前述したように、恋人の死因が皆目わからないという状況に投げだされている。

突然、稲妻に曝された旅人のように、考える事も、判断する事も、身動きも出来ずに立ちつくしている。

多少でも、手がかりのようなものがあれば、彼女は、そこまで深く損なわれる事はなかったろう。

事情や文脈を、たとえ自分なりの、独りよがりのものにすぎないとしても、把むことが出来ていれば、それを手繰り寄せていけば、いずれかの納得に辿りつく事ができるだろう。完全に納得いかないとしても、了解の輪郭くらいは抱けるかもしれない。

けれど作家は、その材料を直子には与えていない。

それどころか、彼女の理性、悟性を、生理によって裏切らせているのだ。

『全然濡れなかったのよ』と直子は小さな声で言った。『開かなかったの、まるで。だからすごく痛くって。乾いてて、痛いの。いろんな風にためしてみたのよ、私たち。でも何やってもだめだったわ。何かで湿らせてみてもやはり痛いの』

ところが、ワタナべとの性交は上手くいった。

『でも仕方ないのよ。話さないわけにはいかないのよ。自分でも解決がつかないんだもの。だってあなたと寝たとき私すごく濡れてたでしょ? そうでしょ?』
『うん』と僕は言った

作家は、生理のレベル、身体のレベルで、直子にキズキを裏切らせている。

この裏切りほど、作家の才能の深さ、資質としての残虐さ、悪辣なまでの欲深さを証明しているものはない。みずからの身体によって、彼女は彼女を処刑せざるをえない。

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