ホーム 『村上春樹2011』福田和也 第一回 『ダンス・ダンス・ダンス』 Page 3

「僕にも確信が持てないんだ。こういう言い方って、馬鹿馬鹿しいと思うだろう? でも本当なんだよ。確信が持てない。僕はキキを絞め殺したような気がするんだ。あの僕の部屋で僕はキキの首を絞めた。そういう気がする。どうしてだろう? どうして僕はあの部屋にキキと二人きりでいたんだろう? 僕は彼女と二人きりになんかなりたくなかったのにね。でも駄目だ、思い出せない。とにかく僕はキキと二人で僕の部屋にいた。--僕は彼女の死体を車で運んで何処かに埋めた。どこかの山の中に。でもそれが事実だという確信が持てない。本当に起こったことだとは思えない。気がするっていうだけなんだ。証明できない。それについて僕はずっと考えていた。でも駄目なんだ。わからない。肝心なことが空白の中に呑みこまれている」

作家は、けして明示的には、五反田君の犯行をほのめかさない。

とはいえ、読者にたいして、彼の犯行を確信させる事も忘れてはいない。

そのために、ユキという少女が存在している。

ユキは云う、「彼があの女の人を殺したのよ」

『羊をめぐる冒険』に登場した、校正係とモデルと娼婦の三つの職業を持つ女性、キキを殺したのは五反田君である、と。

語り手は問い糺す。「君にはそれが見えるの?」

「そうよ、はっきりとそれが見えるの。こんなの初めて。あの人が殺したの。映画の中の女の人を絞め殺したの。そしてあの車で死体を運んだの。ずっと遠くまで。あの車、あなたが一度私を乗せたイタリアの車よ。あの車、彼のでしょう?」

ユキの言葉は、ある種のインスピレーションにすぎない。けれどもユキという少女の造形と、その語りの様子は、読者に五反田君の犯行を確信させる。

同時に少女の告発によって、語り手は、作家は、かくも好ましい五反田君の断罪をしないですむのだ。

それはまた同時に作家、というより語り手である僕を免罪することでもある。

少年時代から、他者の、世間の期待に応え続けてきた五反田君は、「僕」と対照的な存在として造形されている。

いつでも爽やかで、清潔で、優秀で、感じのよい人物。そのような人物が、「好ましい人間」を演じるという、凄まじいまでの倒錯。

だが実際には「僕」は、五反田君とほぼ同質の人間である。

「羊」をめぐる冒険の後、「僕」は「社会に戻る時」を迎え、いわゆるフリーライターの仕事に戻る。

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「村上春樹2011」福田和也
第一回「ダンス・ダンス・ダンス」

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