ホーム 『村上春樹2011』福田和也 第一回 『ダンス・ダンス・ダンス』 Page 2

「どうしてキキを殺したの?」と僕は五反田君に訊いてみた。訊こうと思って訊いたわけではない。それはふと口をついて出てしまったのだ。

彼はずっと遠くにある何かを見るような視線で僕の顔を見た。唇が少し開いて、その間から白い綺麗な歯が見えた。長い間、彼は僕の顔をじっと見ていた。喧騒が僕の頭の中で大きくなったり小さくなったりした。まるで現実との接触が近づいたり離れたりしているみたいに。彼の端正な十本の指がテーブルの上にきちんと組み合わされていたのを覚えている。現実との接触が遠く離れると、それは精巧な細工みたいに見えた。

それから彼は微笑んだ。とても静かな微笑みだった。

「僕がキキを殺したのか?」と彼はゆっくりと言葉を区切るようにして言った。

「冗談だよ」と僕も微笑んで言った。「ただ何となくそう言ってみただけだよ。ちょっと言ってみたかったんだ」

 五反田君は視線をテーブルの上に落として、自分の手の指を見ていた。「いや冗談なんかじゃないよ。それはとても大事なことなんだ。きちんと考えなくちゃならないことだ。僕はキキを殺したのか? 真剣に考えなくちゃならない」

はたして、自分は娼婦を殺したのか、殺さなかったのか?

「真剣に考えなくちゃならない」事であるのは、間違いあるまい。

だが、その思考は、判断は、宙吊りにされている。小説によって、作家によって。

作者は、それと匂わせながらもあくまで、その実践、殺害を現実とも、夢幻ともつかない境地に置きつづけている。はたしてそれは、五反田君の推定無罪を確保するためなのか、あるいは作家自身を安全地帯に置くためなのか。

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「村上春樹2011」福田和也
第一回「ダンス・ダンス・ダンス」

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