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村上春樹2011
福田和也

第一回「ダンス・ダンス・ダンス」

シェーキーズで垣間見せた「僕」のタフネス

さて、『ダンス・ダンス・ダンス』からはじめよう。

なぜ?

と聞かれても困ってしまうのだが、しかし、今、村上春樹を語るとなると、『ダンス・ダンス・ダンス』からはじめなければならない。

そう思っている。

(とはいえ、そんなに御大層な文章を書こうと思っているわけではないのだが……)

とりあえず、『ダンス・ダンス・ダンス』は、『風の歌を聴け』にはじまる「僕」の物語の、現在のところでの「最新作品」だ(『ダンス・ダンス・ダンス』のスタート時点が、一九八三年三月であるところには、注意が必要だ『ダンス・ダンス・ダンス』の末尾は、『1Q84』の始点と (きびす)を接しているのだから)。

『ダンス・ダンス・ダンス』は、「僕」と「鼠」を巡るサーガの、とりあえずの終わりに位置している。

以降、二十二年にわたって、サーガの続編は発表されてはいない。

これが、結末なのか、どうかは判断、出来ない。

村上春樹の長編新作の話が出るたびに、『ダンス・ダンス・ダンス』の続編ではないか、という憶測が流れる。

四つの長編が書かれたのだから、無理もないが。

もっとも、この希望/待機は、承知のごとく、長く、細く引きのばされたままだ。

作家が生存している限り、この期待は滅びることはないだろう。

同時に、この作品は村上春樹の『ロング・グッドバイ』でもある。

『ダンス・ダンス・ダンス』において、作家は自らのテリー・レノックスを作りあげたと云う事が出来るだろう。

どうしようもない、救う価値もないかもしれない人物への共感と友情……

それはまた、村上春樹が善悪の彼岸を踏み越え、踏み越えただけでなく、勝手きままに行きつ戻りつして恥じないタフネス(厚顔さ)を示したということでもある。

娼婦殺しというもっとも卑劣な犯罪を、あらゆる世間からの期待に応えることに汲々としてきた男の宿命とひきかえに、免罪してしまう。

喧騒がひきつつあるシェーキーズで、僕はついに問いを口にする。

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ダンス・ダンス・ダンス

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