ホーム 『日本全国津々うりゃうりゃ』宮田珠己 第三回 『名古屋(三)』 Page 2

布袋大仏は、駅から住宅街のなかを歩いて十分あまりの場所にあった。

それは道路の先のアパートの上に、突然姿を現した。

おおお、あれが名古屋名物の布袋大仏か!

って、まあ、あらかじめ予測していたので腰を抜かすことはなかったが、もしこの場所にわたしが別の用事で通りかかり、何の予備知識もなくこれを発見したのであったなら、わたしは自分の視神経に何らかの問題が生じたせいでこんなものが見えるのだと思ったにちがいない。そのぐらい掌握困難な顔である。虚ろな笑いがどうとか言ってる場合ではなかった。ただ、

「これは怖くありません」

とテレメンテイコ女史が言ったのには、ひと安心である。

実際、布袋大仏の顔は、一般の布袋とはまるで似ていなかった。

その顔を言葉で表現するのは困難で、イラストでもその絶妙な味わいを表現することは難しい。

そういえば、今回の名古屋の旅の最初に、人づてに聞いた名古屋のイメージイラストを描いたけれど、そのイラストはこの布袋大仏がモチーフだった。だが本物はその何倍も深遠で、宇宙的で、ユーモラスで、アンバランスだ。

説明書きを読むと、昭和29年に開眼したとあるから、わたしが生まれるずっと前から、これはここにあったことになる。その事実に頭がくらくらした。

今でこそ、珍景なんていって一部マニアの注目を集めているが、そんなブームになるはるか前から、これはここにあったのだ。愛知万博どころか大阪万博よりもはるか前、こんにちわ〜こんにちわ〜世界の国からあ〜、とか言ってる時すでに布袋大仏は、こんにちわを通り越え、こんばんわレベルに到達していた。わたしが宇宙的と言ったのは、まさにそのことを言っているのである。それは最近輝きはじめたかのようで、実ははるか昔にその寿命を終えていた何万光年も遠くの銀河系のようではないか。

そしてさらに驚いたことに、横から見ると背中が2階建ての建物と一体化していて、その姿全体はどことなくスフィンクスに似ていた。

布袋大仏
全体でスフィンクスのようなフォルム

どちらにしても悠久の歴史を感じずにはおれないわけである。

わたしは布袋大仏のある住宅街の一画をカメラを覗きながら歩き、住宅の屋根から飛び出す布袋大仏や、走りすぎる名鉄電車の上で微笑む布袋大仏など、さまざまな角度から写真を撮った。廃墟のようになった団地の階段を上って、高みから見下ろしてみたりもした。角度が変わると表情が多少変化したものの、実在の人物だったら相手に余計な気を使わせそうな印象は変わらない。

素晴らしい!

素晴らし過ぎるぞ。布袋大仏。

これほどの観光資源が、教科書にもガイドブックにも載らないまま、何十年も放置されていたことが信じられない。 

なぜ今まで黙っていたのか。

そう言いたい気分だった。

これがわたしが生まれる前からあっただなんて。なぜ誰かちゃんと教えてくれなかったのか。

地元民を除いて、日本の人々がこの存在を知るまでにいったい何年かかったのだろう。これよりもパプア・ニューギニアの密林に住む高地人の存在をはるか先に知っていたなんて、なんという情報伝播速度の不均衡。

そう思うと、地元民からすれば、今さら見に来て、ギャーとかワーとか言ってるのも白けた話にちがいない。それは裏を返せば、シャチホコの情報操作がいかに今まで強力だったかということでもある。

なんという愚鈍。

われわれはまんまとしてやられたのである。

今からでも挽回しなければ、というわけであらためて絵を描いて、その存在を世に知らしめようと思う。

布袋大仏と住宅

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「日本全国津々うりゃうりゃ」宮田珠己
第三回「名古屋(三)」

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