ホーム 『日本全国津々うりゃうりゃ』宮田珠己 第二回 『名古屋(二)』 Page 3

人には旅の途中、観光地めぐりの合間に、なんとなく訪れたい場所というものがある。

有名な場所ではもちろんなく、それどころかその町でしか出会えないというほどのユニークな場所でもなく、どうしても行きたいわけではないが、ただちょっと寄って休みたい、あるいはどんなふうか見てみたい、その程度の場所。

人によってそれは、駅前広場に面した全国チェーンのカフェであるかもしれない。それとも高級ホテルのロビーとか、あるいは本屋とか、意外なところでは、広々した身障者用トイレや、駅のベンチで休んでいるときが一番心が休まるなんて人もいるかもしれない。

人はそこでのんびりした時間を過ごし、旅行から帰ったら、おおむねその部分は忘れてしまうのだが、そうやって旅の途中でスローダウンすることで、それまでに訪れた場所、見たもの、した経験を思い返し、それを整理し、編集し、検証し、記憶に定着させる。そうしなければ、次々とやってくる刺激のなかで旅の細部が抹消され、小さな発見や感動が、ときには体験の記憶そのものまでも零れ落ちてしまうからだ。

わたしにも、そんなクールダウンの場所がある。

旅に出ると、つい行ってしまう場所。

それは、高いところをゆっくり走る乗りものの車内である。

おお、素晴らしき哉、高いところをゆっくり走る乗りもの。

つまりモノレールやロープウェイ、新交通システムの類に乗って、清潔で無機質なシートに座り、用もないのに端っこの駅まで乗って、今度は反対側の窓辺に座って戻ってきたい。そうやって旅のペースを落とし、それまでの経験をじわじわと脳に浸透させるのだ。

というわけで、わたしは今テレメンテイコ女史とともにリニモに乗っている。

愛知万博の際に建設された無人走行の新交通システム。

五色園の後、バスで長久手古戦場という駅に出、そこから八草まで乗り、折り返して藤が丘に向かっているところである。

当初こんなものに乗る予定はなかった。その存在すら知らなかったからだが、突如テレメンテイコ女史よりリニモの話を聞き、それに乗りたいとわたしが強く主張したのだった。

おかげでテレメンテイコ女史は、またしてもノートパソコンを開いて身近な駅を検索し、そこへ向かうバスを調べ、時刻表をチェックし、ついでに自分が食べたい台湾ラーメンの店も検索するなど、慌しい作業に追われたが、今はそれも片付き、われわれは、着膨れてモコモコした体のまま、四人掛けのボックスシートに向かい合って座っていた。

清潔なシートに、スカスカした明るい車内。そして何より暖かい。ああ、なんと心安らぐことだろう。これこそ頭のクールダウンにうってつけの空間だ。

わたしはこの居心地のいい空間と無為な時間を利用して、今日訪れた場所を反芻した。

桃厳寺の巨大な緑色の大仏や、五色園の無数のコンクリート人形。それら現実のものによって、わたしのなかの名古屋に対する固定観念や偏見が、ゆっくりと置き換えられ、上書きされていく。一歩ずつ名古屋が、本当の名古屋に近づいているのだ。名古屋もさぞかし喜んでいるだろう。

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